子供部屋につてい

かつてより、子供部屋についてはいろいろ論争がある。
戦前、まだ子供部屋の考えは一部の裕福層のみで、
多くの家に子供部屋はなく居間をいろんな形で活用していた。
食事や勉強をし、夜にはちゃぶ台を片付けて寝室にも使っていた。
その後、「寝食分離」の考えが一般化し寝室が別に用意されたが、まだ子供部屋が与えられるにいたらず、子供部屋が当たり前になったのは、高度成長期以降だろうと言われている。
アメリカのドラマが日本でも放送され、西洋の文化にあこがれをもった日本人は、どんどん家を大きくしてきた。
「うなぎの寝床」「ウサギ小屋」と揶揄された日本の住宅を恥じてのことだったのかもしれない。

その当時、玄関ホールに階段があり、2階に子供部屋がある家が多かった。
小さく仕切ることで温熱環境の管理もしやすくプライバシーを守るには最適だ。
逆にふすまで仕切られるだけの間仕切りを「気配を感じることができていい」という論調もあった。
その後、子供が「茶の間も通らずに部屋にこもる」や「来客に挨拶もせずに子供部屋へ行ってしまう」などの躾に不都合との声から、居間を通らないと子供部屋へはいけないように、との要望が増えた。(今も)
最近は、勉強は居間で行った方がいいなど、子供部屋の存在自体が議論されている。

大切なのは、なぜ子供部屋が必要なのか?ということだろう。

自我の目覚めと自立の為に必要なのか?
勉強に集中する環境を用意するために必要なのか?
大人がプライバシーを守るために必要なのか?(←これ、とっても大切だと私は思う)


子供部屋を与える前に、本人も交えて話し合うといいのだとも思う。
子供の性格も様々、一人になる時間が欲しい子もいれば、
子供部屋をほとんど使わない子もいる。
親としての考えも様々で、ある程度管理できる状況にしておきたい親御さんいれば、子供の自主性に重きを置く親御さんもいる。

自立心を養いたいのであれば、一緒に話し合い、子供部屋の活用の仕方を本人に決めさせるのもいいと思う。
ある程度の広さも確保し、自分の物を管理させるように収納も用意する。

子供部屋を勉強部屋とするなら、集中できる環境を用意してあげるといい。
音はなるべくさえぎることができるようにし、できれば緑が視界に入るといい。インテリアには青色を取り入れることで気持ちが落ち着くし、集中力が増す。

部屋の目的が休息となるなら、暖色系やピンク、または木材の使用もいいと思う。

いずれにせよ、家族のコミュニケーションのあり方が重要で、大人の都合で考え子供部屋を与えるだけではなく、子供部屋の使い方や約束をお互いに話し合うのがいいのかもしれない。

子育てや親の在り方に正解はない。
これは私のただのおもいとして。


古来は「子供」という概念すらなかったらしい。
中国では官僚を育成することで「お家」が栄えるので、古来から教育に重きが置かれていたようだが、多くの国は「子供」はただの弱くて小さい人で、農耕の働き手として扱われていたそうだ。
亡くなってしまう子が多かったからか愛情をもって接するもの、という考えは意外と近年に生まれたという。
愛情を注ぐべき存在となったのは、啓蒙主義が持ち上がったころのよう。
日本では西洋の文化を取り入れ始めた、明治以降ということになる。
「お家」と「家庭」や「家族」を区別するようになったのも、明治以降のようだ。
このころから、各家族が増えていくことになる。

などなど、今の常識は、以外にも時代と場所が変われば非常識ということになる。
失敗を恐れて、常識的な家になりがちだけど、常識に惑わされず自由でいいのでは、と常々思う。
とはいえ、自分の家ではないのでなかなか冒険もしないのだけど(笑)

家の大切な役割、基本は命を守ること。そして育む場だとも思っている。
人格形成にとって最良の場であってほしい。


中古住宅を買うという選択

ウッドショックの余波は今も続いています。
そろそろコロナの影響も落ち着くかと思ったやさき、戦争の勃発で世界経済は再度昏迷状態になってしまいました。
グローバルな時代になって便利になった分、影響はすぐに世界にも及ぶとを実感しました。

建築の坪単価は高騰し続けています。
収入は上がらないのに物価は上がるし、税金も上がる。
夢のマイホームは夢のまた夢なのか・・・・。
でも愚痴は言わずになんとかしましょ!(と、商業的な回答ですね。)

中古物件を買って工事をするという選択肢はどうなのか?
実は中古物件の価格も上がってきています。
低価格で立地条件が合う物件に巡り合うことができるかどうか。
めぐり合わせしだいでしょう(こんな回答は、もともこもないですね。)
もう、それは恋愛のような「出会い」なのかもしれません。
肉親から建物を譲り受けるのであれば、違ってきます。
しかし、そうであってもフルリノベーションとなると、やはりお金はかかるもの。
基礎、外壁、屋根に手を入れなければならない物件であれば、
安く買える住宅並みになるかもしれません。
どこまでの性能を求めるか!でも工事価格も違ってきます、が
できれば性能をアップさせたい。
減築が一番いいとは思っているのですが、解体費もバカになりません。
そこで、減築せずに性能を上げる部分を限定することも勧めたりします。

長期優良住宅へとリノベーションすると補助金があります。
が、しかしハードル高めです。設計委事務所が頑張らなければいけない分野です。
今年の10月より、その基準も変わってきます。
現在、すでに高性能な住宅のリノベーションにとっては有利になるようです。

立地条件のいい物件は、価格も思いのほか高くなります。
どこで妥協するか?
自分が一戸建てを求めようと思った理由に立ち返りつつ
進めるのがいいと思っています。

先日、知人と雑談していて
「日本も欧米のように建物に手を入れてレベルアップして販売するようになればいいのに」
と言うのを聞いてちょっと嬉しくなりました。
本当にその通り!と。少し前にはそう言ってくれる人もいなかったからです。
なぜか日本人は中古を嫌います。
平安時代の都の遷都も、中古を嫌う日本人気質から来ているような気がします。
(私の勝手な解釈です)
しかし今回の物価高騰で、皆さんの意識も少しずつ変わるかもしれません。

余談ですが、中古車の価格も上がってきていて、外車は購入できないそうです。
なので中古の外車の買い取り額は高くなっているのでは?と思い
お世話になっている修理工場の方に聞いてみると、逆に下がってきているそうです。
今後メンテナンスに費用と時間がかかるようになるからでしょうか。

世界状勢からの物価高騰もさることながら、
食糧難も危ぶまれています。(不安をあおる気はないのですが)
自然豊かな日本を大切にする時が来たのだと感じています。
今あるものを大切にする時代。
まさにその時なのです。開発して宅地を広げるより農地や山林を温存したい!

皆が地球環境に愛着を持って接することで、世界は少しずつ改善すると思っています。
小さな一歩から。
ハチドリの一滴のように。

よい家は欲張らない

住宅の計画は欲張っても、総合的に見て良い結果にはならない。と思っている。 欲張る、というのは要望をたくさん盛り込むというとこ。 以前も書いたことがある。 建物の計画をすすめていくと、どんどん欲が出て、どんどん面積が増えて不格好な建物になっていく。当初の計画はシンプルで無駄がなかったのに、だ。多くの欲(原因)は「利便性の追求」「収納の量」「個室の数(あるいは広さ)」などだ。打ち合わせを重ねる度に建物の形がいびつになり、そして、建設費は増えていく。 今後の生活で何を重視するのか?という「コンセプト」がブレてしまい、迷いながら計画を進めるためだと思う。情報過多の現代では、細かい情報にあふれている。失敗したくないと思うあまり、あれもこれもと要望をモリモリに盛り込んでいては、どうしてもあちこちにしわ寄せができてしまう。 かたちの「イビツ」さは、「恰好の悪さ」だけの問題ではない。 構造強度にとっても不利になる。 建築費が増え経済的にも余裕がなくなる。 水じまいだって悪くなるかもしれない。 大きくなってしまった分、敷地の余白が減ってしまい光や風通しが悪くなる。 そうならないためには、計画を少しずつの手直しするよりも、息詰まったら再度、新たに考え直すことが必要かもしれない。改めて「この建物に大切なもの(こと)は何なのか?」「どうして、建てようと思ったのか?」に立ち返ることが大切だ。 何事でもそうだと思う。何かに没頭した後には俯瞰する。それを行き来することが大切で時にはリセットが必要になるはず。そこは手を抜かずやり直さなければいけないと思っている。 建物に関して、人の行動やモノの増え方を予測することもある程度は必要だけれど、人間には適応力があるはず。とおい未来を予測してもその通りに変化するとは限らない。どこまで心配してもきりがないのだ。それより「建てる意味」を忘れないようにすべきだと思っている。楽をしようとする気持ちもほどほどに、計画には柔軟性を持たせることで、経済的にも余裕が生まれ生活も豊かになるはずだ。 すべてにおいて、感じることだが、 不安や不便さを受け入れることが今後の世界の重要なキーワードだと思っている。 人間は効率重視の世界につかれてきている。「ムダ」が大切な時代がはじまっている気がしていて、そして「ムダ」は「幸福」や「豊かさ」につながっている気がしてならない。

楽をするための工夫より環境からいただける豊かさが大事だと思っている。

世にのこるもの

ぐるりな日々, ブログ

2022.04.07 (木)

子供のころ、子供向けの百科事典が好きだった。
特に宇宙のページが好きでよく眺めていた。
宇宙空間があり、そこには渦巻きがたくさんあり、その中の一つが銀河系で、
その中の本当に小さい太陽系があり、その中の小さい星が地球。
という巻頭カラーの綺麗な絵が特に好きでよく眺めていた。
大き目の紙に描かれ、たたんで折り込まれていて、一部がどんどん拡大されていき、ようやく地球が現れる。というように書かれていて、地球はどんだけ小さいんだ!と思っていた。このページが宇宙だとしたら、舞っているホコリより小さいんだろうなと子供ながらに思った。

音とか光のページも好きで、夏休みなどの自由研究にそのページを抜粋して書き写したのを覚えている。
自然科学が好きで、もっぱら昆虫採取やサンショウウオやオタマジャクシの卵をとってきたり、時にはヒルも捕まえて育てた(笑)。動植物だけではなく夜空を見ることや、太陽の光で遊ぶことなども好きだった。あんなに好きだった自然科学なのに、建築士の勉強では大の苦手に(笑)。計算式とか覚えられない。
人間「have to」になると嫌気がさすのだな~と実感している。

建築は地球にとってはオデキみたいなものだ!と常々思っている。
いずれ壊れるオデキ。地球にとってみれば治癒したことになるのだろう。
形あるものは残らないゆえに、はかなくて記憶にも残る。

世に残るのは記録、言葉、物語り。だけのような気がする。
情報ともいえるけど、その言い方はちょっと味気ないので「物語り」と言い換えたい。
物語りとなりうるためにも、感情をともなった記憶を残せたのなら幸せだろう。
しかし、感情を伴わない記録だとしても決して無駄ではない気もする。
たとえば、ただの家計簿から後世の人が今の生活様式を想像するのも悪くない。
そこは、好きに想像していい。
森羅万象、すべては見方しだい。見る側の意識で真実も変わるのだし、そう考えれば感情の伴わない記録も、いろんな余白をはらんでいて、逆に面白い。好きに想像を働かせられる。そんな余白が風流ともいえる。
現存していないお城などもそれにあたる。変に再現するより、城跡や記録から皆で想像する方が浪漫がある。現存するものを見てしまうとその記憶が固定して一つの物でしかなくなってしまう。

宇宙から見ると、地球は人間の体のように見えるのだとか。
そして人体の中の細菌はまるで人間社会のようにコロニーを作っていて、宇宙からみた街のように見えるという。人間は細菌によって支配されていると言っても過言じゃないと聞く。腸内の細菌は善玉菌、悪玉菌それぞれ2割で他は日和見菌。これも地球と人間にたとえられる。日和見菌は、多いほうの菌に変化するとか。まるで、世界大戦を初めてしまう人間のようだ。

知の巨人・南方熊楠は細菌の一人者だが、霊的な体験も多いのだとか。
体や地球のボーダーを超えた存在だったのかもしれない。
同じ時代に生まれて、話を聞きたかった。イケメンだし(笑)
しかし相当の変わり者だったようだ。それをふまえても、やはり会いたかった。

熊楠の偉業や逸話は後世に残った。
世に残るものは、形あるものよりやはり「物語り」なのだろう。

話がずれてしまった。
建築はそのままは残らない。再現に限りがある。それゆえ、語られるに値するものを、心を込めて大切に作り、そして少しでも長く残したい。そう思った。

住宅に求められるもの

今年に入って毎月ポスティングしようと心に誓った。
効果はそれほどないことは知っているのだけれど、ただ単に好きだから。
いろんな通りや家を見て回るのが若いころから好きだった。
愛犬がいる頃は、散歩と称していろんなところを歩いて見て回った。
今、ただただぶらぶらしていると不審がられるのでいい口実になる。
いや、ポスティングの行為自体不審がられるし、ゴミになって迷惑かもしれない。
でも、知ってもらえないのは機会損失。(かもしれない)
以前より、ご近所だけ配布していたのを気の向くままいろんなところに足を向けようと思っている。

2月も末になり、先日慌てて配布した。
今回は共同住宅に配布しよう!とゆうことで、共同住宅が多い地域に足を向けた。
配りながら感じたことは、最近の新築共同住宅の品質の高さだ。
玄関ドアもいいものが使われていて、ポストも気密性がある。
ということは、建物自体もきっと気密性、断熱性に優れていると思われる。
省エネ基準のお陰なのかもしれない。
セキュリティーも高く、長屋(共有される廊下がないく玄関が1階にあるような建物)でできているので、
下の階に音が響くなどの気遣いも軽減できている。
これなら、一戸建てに引っ越す必要ないなぁ。などと思った。
若年層の住宅所有率は年々少なくなってきているのもうなづける。
これなら、賃貸派がふえるはず!そう思った。

しかし、きっと家賃は高いはず。
アパートを計画するとき、不動産業では回収できる年数ははじき出す。
私の知っている限り、10年で回収できるように考えることが多い。
建物が高ければ、満室率も高く結果、計算通りに回収できる!との考えかもしれない。
保証会社からの「保証するからこのレベルの建物にしないさい!」という規制が厳しいのかも。

以前より、共同住宅もレベル上げるべきと思っていたので、喜ばしいことだ。

じゃ、このまま賃貸派が増えてくる一方なのか?

いやそんなことはないと思う。仕方くなく賃貸に住まう人も少なからずいると思う。
じゃ、どんな時、どんなことで住宅が欲しいと感じるのか?
自分だったら、想像してみる。

まずは温熱問題。

省エネ基準以前の賃貸住宅は、断滅材もそれほど入っておらず窓ガラスもシングル。
夏暑く、冬寒い、窓はすぐに結露。
育ってきた家はそんなことがなかった世代は、こんなところが気になるかもしれない。

温熱環境を快適にすると健康にも効果がある。
アトピーや喘息も減るようだ。
温熱に不快を覚えている人は、ぜひとも検討してしてほしい。

次の利点として、所有欲が満たされる。
賃貸住宅には、やはり借り物という感覚がつきまとう。
その点、一戸建ては自分のものという所有欲が満たされる。(かもしれない)
私、あまり所有欲がないので想像の世界だけど。
他に、外回りや設備機器の更新も自由できることも利点だろう。

共同住宅を回っていて強く思ったのが、外回り収納がある共同住宅がないこと。
お子さんの成長に従って、外で使いたいものがでてきてしまう。
ベビーカー、外遊びのモノ、子供用自転車などなど。
きっと一時期だけのものだのだろうけど、ちょっとだけ外収納のある共同住宅があったいいのに、と感じた。

また、水回りを新しくしたくもなるかもしれない。
前の話にかぶるが、断熱効果を高める工事がしたくなるかもしれない。
自分が自由にできる家なら快適生活になる、更新工事もできる。

そして大きいのは、音問題。
一戸建てにしても環境によっては音問題があるかもしれないが、
それでも共同住宅よりは響かない。
子供が遊ぶ音や家族の会話などの生活音、設備機器の音、楽器の音なども、それほど気遣いせずいられる。
おとなりの生活音を聞くと安心する、なんて人は共同住宅向きかもしれないけど(笑)
ペットを思いのまま飼育することができることも大きな利点だろう。
いまだ、ペット禁止の賃貸住宅は多い。家が傷むし匂いがつくかもしれないからだ。

ペットOKの共同住宅でもマナーは気になる。
得てして、他の人のペットに対しては厳しい目で見てしまいがちだ。
でも、ペットと暮らすことはかけがえのない経験になる。
特に、お子さんには生き物に触れ合う経験は必要だと感じている。

そして、なにより自由なこと!
周りからの干渉もそれほどなく、自由にふるまえる。
自分らしい生活空間を作ることもできる。
外回りも自由に使えるので、植物を楽しむこともできる。

などなど、いろいろ利点ある一戸建て住宅。
月々の支払いが家賃以下で実現できれば最高だと思うのは私だけだろうか。

見た目

「女性建築家だから、女性の立場で設計できるでしょう。」とよく言われる。
きっと、家事を全くしない男性よりは「女性の立場」に立てるのかもしれない。
けれど、好みや価値観は星の数ほどたくさんあって、
簡単にステレオタイプに語れないのが女性だ。
一筋縄にはいかない。
女性は一か月のホルモン周期で人格が変わるとも聞くし自分でもそう感じたりもする。
女性のことをひとくくりにできるなんて思えないし、
「女性の味方です!」などと軽々しくも言えない。(敵ではないけどね。)
元来、自分を人に決めつけられるのが嫌な性分のせいもあって、
「女性」性を武器にすることに抵抗を感じていた。
けれど最近、死ぬ前に女性であることを楽しもうかな~、
などと遅ればせながら思うようになった。
もう少し早くこの思いが「発動」していたら人生が変わったかもと感じることが最近多い。
見た目が変わると人はこうも対応が変わるのかと感じてしまう。
 

そういえば若い時には、多少はチヤホヤされもした。
若さゆえのことだろうと高を括った、ひねくれた若い娘だった。

きっと表面より中身を見てもらいたい思いが強かったせいだろう。(自身もないくせに)
その後、結婚・出産でふっくらとなり、
とあることで一か月入院して筋力がなくなったせいかドンとふとりだし
飽和状態と思えるまで太りに太った(笑)
そのころ、太ってみて感じたのは人が私に対してとてもフランクに接してくれることだった。
いじられたり馬鹿にされたりするのも面白く思え、そのことで気も楽になって、
見た目度外視で真の人として扱ってもらえている気もした。

それはそれで幸せだった気がする。
でも、さすがに体調がすぐれなくなって数年前からジムに通い、
アルコールもほどほどにして、

ここ数年は体重も出産後のふっくら?くらいにもどった。

 

 

それでも、ショートカットのボサボサ頭で女性を捨てていたのだけど。
昨年から、そんな自分にも飽きてきた(笑)
きっかけは着物を着るために髪でも伸ばそうかと縮毛パーマをかけたことに始まる。
それだけのことで、人の見る目が変わることに気が付いた。
きっと普通は10代20代で気づくだろうことに、不覚にも50代で気づくという(笑)。

 

きっと私たちは見たもので気持ちを動かされてしまうのだろう。
身の回りにたたずむモノたちに気持ちを動かされてしまう。
好きなものに包まれていればテンションも上がる。
見た目だけではない。モノから発する何かがある気もする。
オーラなのか、気配なのか、実際放出される熱なのか、湿度なのか、匂いなのか。
何かしら伝わってくるものがある。知らず知らずに五感で感じ取ってしまうものが。

 

建物の素材は、面積が広い分きっと顕著に感じられる。
キラキラゴージャスもテンションが上がっていい。
けれどできればそれは外出先で楽しみたい。
ゆっくり休むには天然のものに包まれるのがいい。
人間の歴史的にも自然なことだからだろうなと思う。
あくまで、「個人の感想です」が。

 

自分も誰かに影響を与えてしまう存在であるなら、
少しはきれいでいて気分よく過ごしてもらわねば(笑)
まだまだ、手抜きが多いけどもう少し女性に帰れるよう努力しようかな。
女性建築家!って胸を張って言えるまで。(でもやっぱりちょっと面倒かな)

住環境を変えたいと思ったら

さて、何を書こうかと思い「何が知りたい?」と知人に聞いてみたところ、

住宅取得までの流れを知りたいとの回答だったので、

ここで初心に戻り一から書いてみます。

 

今の生活を変えたい。そう思って住宅購入などを考えたはずですが、

まず、どうしてそう思ったか「理由」を整理してみてください。

・家族が増えるから

・音や隣家への気遣いにつかれたから。

・賃貸の費用がもったいないから。

・資産形成

・老後の不安

・ペットと暮らしたい

などなど、さまざまです。

冷静に考えるためにも、自分たちの初めの「理由」を覚えておくことは重要です。

家族で話合いの過程もわかりますし、感情に流されないためにも書き留めておくことをお勧めします。

冷静な判断のためにも、「理由」に引き続きネガティブな「リスク」も書き留めておくことをお勧めします。

(普通の営業はこんなこと言わずに、明るい未来イメージのみで、自社をお勧めするところですが(笑))

「リスク」が全くない選択は存在しないと思いますが、そのリスクを受け入れる覚悟ができますし、

「リスク」に対しての対処法も先に考えておくことが大切です。

受け止める心の準備ができるからです。

また、あきらめる基準も前もって決めておくこともおすすめします。

では次に、住生活を変えるために、考えられる選択肢としてあげていきます。

・別の賃貸へ引っ越す

・マンションを購入する(中古・新築)

・一戸建てを購入する(新築する)(中古・新築・建売)

・現在の住まいをリフォーム。あるいは建て替える。

 

これらが、選択肢に上がってくるはずです。

先ほど考えた「理由」や自分の暮らしと照らし合わせながら、これらを比較します。

その際、今後予想される生活の変化などに対応できるか?(お子さんの進学など)費用は?

ローンを組む場合の返済額は?それ以外にかかる費用は?(税金など)

など、時間の経過とかかるお金の検討も忘れずに。

次に、情報が必要です。

ネット社会になりましたし、情報収集はたやすくなりました。

しかし、何が正しくて何が間違えか見極めるのは難しいですね。

なんとなく自分がどうすべきか見えてくるとは思いますが、

まだまだ簡単に決定はしないでください。

ここから、実際に不動産会社、建設会社との相談へと流れていきますが比較検討は大切です。

 

可能性のある選択肢の中で数社にアプローチします。

金銭面で、借入の必要がありましたらこの段階で銀行へ相談に出向いたり、

FP(ファイナンシャルプランナー)へ相談したりします。

現状の把握、今後の資金計画に知恵を貸してくれます。

また、この後、各社の営業が必死にアプローチしてくることでしょう(笑)

その時、先ほどの「理由」「リスク」が役に立ちます。

銀行・FPにしろ、各社の営業にしろ、工事推進派であることは間違いないはず(笑)

冷静な判断が必要なところです。

ここまで、ざっくりしたアドバイスでした。

では、いざ「工事」を行うことにした場合へと進みます。

 

工事を頼む時の選択肢として

 

・知り合いの大工さんに頼む

・お気に入りの工務店に頼む

・設計事務所に頼む

・ハウスメーカーに頼む

 

などが考えられます。

それぞれについて、考えてみます。

 

 

・知り合いの大工さんに頼む

利点としては知り合いなので、そうそう手を抜かないこと。

好意で何とか安く上げようしてくれることでしょう。

多くの場合、最初の計画もざっくりとしたもので、着工していきます。

大工さんに頼んだ利点として、現場で変更を聞いてくれる。と考えますよね。

しかし、実はこれは危険です(笑)。知らぬ間に違法建築物になってしまったり、構造的に問題が出てきたりしてしまいます。

最近の大工さんはモラルも上がって、キチンと設計士に相談してくださる方が増えました。

(つまり、設計士もかかわっているばあいがほとんどです)

また、このような現場の変更が増えると、工事後に追加請求を申し出されることもあります。

気持ちよく工事を終えたいので、お互いコスト面での気遣いは大切です。

 

 

・お気に入りの工務店に頼む

工務店さんも、親身になって要望を聞いてくれます。

「施主と一緒に作り上げていく」という感じです。

見積もりもざっくりしたものではなく、細かく拾い上げているので工事後の追加請求もあまりないと思います。

計画もイメージがつきやすいパース(写真のようなイメージ図)で示してもらえることがほとんどです。

最近の工務店さんは勉強熱心です。コンプライアンスや、気密断熱はもう必須です。

営業の方の人柄も大切です。

工務店さん独自のポリシーや独自性を比較して検討するのもいいでしょう。

 

 

これじゃ、設計事務所に出る幕ないなと思ってしまいます(笑)

でも、負けずに設計事務所の利点を説明しますね。

 

・設計事務所に頼む、

では設計事務所に頼む場合の利点を再度説明します。

工事金額と設計料は、別々の支払いになります。高くつくと思われますよね。

実は工事金額が工務店さんに直接頼むより安くなります。

これから、その理由をのべますね。

1、新築の場合、そもそも工務店さんの見積もりの中に、設計料は含まれています。

管理料の中に含まれて明細には出てきてないかもしれませんが、どの現場でも設計士の関与が必要だからです。

2、設計士は図面をたくさん用意します。事前に細かく決めていきます。

図面をたくさん用意し細かいところまで指定した場合、下請け業者から上がってくる見積もりも安くなります。

漠然と「坪○○の一軒家で見積もって」と言われたら、

「細かいところがわからないな。損をするかも。高くしておこう!」となりますよね。

それより、「この器具が何個」、「この仕上げは何㎡」、「コンセントはここに二口」と細かく指示がある場合

ごまかしが効かないからです。

3、さらに相見積もりや、入札などを行うと各社頑張ってくれるものです。

その分、仕上げや設備にこだわったることが可能だったりしますよね。

コストとは関係ありませんが他にも利点があります。

工事がきちんとできているか、第三者の目で監理を行います。

その他

手続きが面倒で安くなっている敷地なども、設計士事務所に頼むとなんとかなるかもしれませんよ。

と、手前味噌ですが、設計事務所へ頼んだ場合の利点を挙げてみました。

 

ではデメリットは?

形(デザイン)にこだわりすぎて、生活がしにくい家になることがある。

設計士の熱い思いが先行して、不必要な装飾多くなったりする。

 

少し前にこのような声を聞くこともありました。

きっと一部の設計士さんの話だと思います(笑)

・ハウスメーカーに頼む場合

ハウスメーカーは、品質も良く安心感があります。

最新のテクノロジーも組み込まれていますし、営業マンは補助金、税金控除などの知識も豊富です。

購入するのにもいろいろ考えずに、カタログやモデルハウスで確認し選択することができます。

ただ、その分お高いです(笑)。CM代、営業代にお金がかかっていますし仕方がないのです。

あまりあれこれ、考える時間がない忙しいご夫婦には、クオリティーも高いですしお勧めです。

しかし、家づくりを楽しみたい方には物足りないかもしれませんね。

そしてもう一つ、後々のリフォームが自由にできない建物も多くある点は考慮しておく必要があります。

 以上、「住生活を変えたいと思ったら」思いつくまま列挙してみました。
年を重ねるごとに変化することが億劫に感じられます。否応なしに時代は変化してしまうし、昨今はそのスピードの速さに負けてしまいそうです。

でも新しいことを始めるのは、ストレス解消にもなるらしいです。

変わらない部分を大切にしながら変化も楽しんで受け入れたいですね。

 
 島原の猪俣金物店のかき氷。

中庭の池にはカメが20匹ほど。たまに脱走もするそうです。

赤ちゃんカメも4匹誕生していましたよ。

チーム力

先日、熊本の八千代座へ歌舞伎「古典へのいざない」を見に行ってきました。

近年、友人のお陰で毎年観劇することができ、そして今年も、とても感動的な時間を過ごすことができました。

自分へのご褒美!といっても、ご褒美もらえるほどのことはしていないので(笑)

自分への慰めかもしれません。

いやいや、叱咤激励ですね。

友人には感謝するばかりです。

 

さて、今回は工事現場の話を、と思います。

建築工事は、多くのプロの職人さんがかかわって造り上げていきます。

多くの職人さんは、下請けとして作業します。

どんなに大きな会社でも、この形態はあまり変わりません。

社員として何人かの大工さんを雇用していることはありますが、

多くの職種は他の会社(または個人)に発注して、作業をしてもらいます。

 

多くの会社(個人)がかかわることになるので、工事全体を取りまとめる役の人が必要になります。

この役を担うのは、かつての日本では大工の棟梁さんでした。

しかし、現在は建設会社がこの役を専門にすることが多くなりました。

大工さんはその分作業に専念できるのです。

工事を取りまとめるためには、多くの知識と経験が必要です。

それだけではありません、常に安全面、衛生面に気を配り、作業の流れを考え、細部の作りを考え、

そしてコスト管理も行います。

(大工さんはこの辺りに気が回らず、最後に「追加請求」という形になることが多いと感じます)

「工務店の人は作業をしないで、顎で人を使って偉そうに!」

などと思ってはいけません(笑)

 

設計士はというと、このチームのゴール(完成形)を指し示すのが仕事だと思っています。

施主の気持ちを汲み取り、法に則り、衛生的で快適、安全な建築の完成形を

皆と認識できるように表現するのです。

設計士も多くの知識と経験がないと、このチームに貢献できません。

現場では、いろいろな問題が発生するものです。

そして、チーム一丸となって解決策を考えゴールを目指して作業するのです。

 

いいモノになるかは、一つのゴールに向かい、

いかに多くの職人が集中できるかにかかっている気がします。

それには、チーム力が必須です。

プロのサッカー選手のように、プロの職人さんは他のチームに入っても活躍できます。

しかし、足並みのそろわないチームメイトがいるとほころびが出てきますよね?

初めはちょっとしたミスでも、そこからズルズルといろんな事に影響が出てきてしまうものです。

結局は、人間同士の作業なのでチームの和が結構大切なのです。

 

そのチームの監督が、建築会社の現場監督(現場代理人)ですね。

選手選びも大切な監督の仕事です。

 

 

ところで試合が始まってからの設計士の仕事はというと?

設計士は、工事現場へ行くと嫌がられる存在です(笑)

設計図通りできているか、監視する役回りだからです。

試合中の、審判みたいな感じでしょうか。

嫌がられたりしながらも、それでも、監視役は必要です。

施主のため、建物の責任を負っています。

キチンと見張らなければいけません!

そこで、どうすれば現場の人から嫌がられないかと(笑)ちょっとだけ考えてみました。

きっと、完成形が素晴らしく感じられるもの。誇りに思えるような仕事になること。ではないかと。

そのためには、ちょっとくらい嫌われても素晴らしいものを目指すことが、

結果としては認めてもらえるのでしょう。

(これ、これから自分に言い聞かせよう!)

毅然とふるまう主審のように、時にはカードや退場も言い放たなければなりません!

(これは、少しオーバーですね。)

 

モノづくりおいてこの「チーム力」は共通していると、先日の歌舞伎を見ていて感じました。

多くのスタッフが、華やかな舞台の陰でせわしなく働いています。

役者さんをはじめ、その一人一人が完成した華やかな舞台を誇りに思い、

汗をかいて真剣に自分の役(仕事)をこなしています。

その姿には毎回感動させられます。

役者さんはもちろんみなさん「命をかける」「命を削っている」

いや刹那に「命は燃やしている」ようにも感じます。

八千代座は、小さな舞台なのでそんな心意気が凝縮して感じられるせいかもしれません。

 

何事にも「心意気」、大切にしたいです。

今、ブログを書きながら思いました。

愛される街とは

ぐるりな日々, ブログ

2020.08.13 (木)

最近、街づくりについて考える機会がありました。

40年~50年前に造成された新興住宅街の自治会長さんとお話しした時でした。

例にもれず、高齢化が進み空き家が増えているといいます。

どうしたら魅力のある街になるのか?を聞かれて、明確にお答えすることができませんでした。

そんなことでは「ぐるり」の理念にそぐわない!と思ったことがきっかけです。

昨今の新興住宅街の変化

今だに新たな新興住宅地が増え続け、昨今はそのスピード早まっていると聞きます。
参照↓

「住宅過剰社会」ニッポンの未来はどっちだ!?

老いる家 崩れる街-住宅過剰社会の末路』(講談社現代新書)

コロナの影響もあり、新築着工件数が増えているらしいです。

コロナバブルといえるかもしれません。

テレワークが可能になった結果、郊外の落ち着いた土地で家族と過ごす時間を持つことを選びやすくなったのが要因だと思います。

では、なぜ、現に存在する新興住宅街に人は住まなくなるのかを考えてみました。

 

 

なぜ、愛着が持てないのか?

1.変化がない

古ぼけた街のイメージに魅力を感じないのかもしれません。

管理されていない街路や戸建てが目立ってくると、町の印象が悪くなります。

街にも多少の新陳代謝は必要だと感じています。

 

 

2.住民同士のライバル心がある

昔友人に、聞いたことがあります。

近くの新興住宅街に母親が一人暮らししていると聞いて「近くに住んでいるのになぜ実家で同居しないのか」と

すると「あそこは近所の人と比較されるからイヤ」との答えでした。

また最近ですが、「ああいう町(造成された新興住宅街)に住むと、捨てるごみにも気を遣うようになる」とか。そのような場で暮らしたことのない私には共感しがたいのですが、小説やドラマなどでも描かれていることが多いこともあるので、実際そうなのかもしれません。。感受性の違いもあるかもしれませんが、そういった要素がはらんでいるのは事実なのでしょう。

最初に土地を買う段階で、敷地や建物の価格がわかってしまうのもヒエラルキー形成の要因になるのかもしれませんね。

 

 

3.住宅は密集しているがコミュニケーションは不足しているので落ち着かない

これも私の勝手な想像です。仲良くできていない人と住宅が密集していれば、ちょっと落ち着かないだろうなぁ~と。何度も言います。あくまで私の想像です。

 

 

4.住宅ばかりで変わりばえしない風景は、楽しくない

私は新興住宅街でよく道に迷います(笑)。何度行っても迷います。

きちんとブロックを数えたりしない私が悪いのは明らかです。が、しかし、街並みに特徴がないことも問題なのではないでしょうか。どこに行っても同じような家が並んでいて、うっかり曲がり角を間違えてしまいます。

車での走行や道行く人にも変化があると楽しくわかりやすいのに、とついつい街のせいにしています(笑)

 

 

5.「見守る」と「監視」のハザマから、クレーム・犯罪に発展も

自己防衛?地域防衛のための目配りが、人によっては窮屈に感じてしまうのかもしれません。最近話題の、「自粛警察」とまでは言いませんが、厳しすぎるのは自分をも苦しめてしまいます。見守る人の目つきや心配り、人それぞれの違いをお互いが享受できるコミュニティーが必要で、その仕組みやモラルも考えるべきなのだと感じる今日この頃です。

 

 

6.イメージが悪い(暗い、危険)

どっちが先かの話になるのかもしれませんが、廃退してきた町はイメージが悪いだけではなく治安も悪くなります。結果、知らず知らずのうちに潜在意識で身の危険を感じる場所となり寄り付きがたくい雰囲気が漂ってきてしまう気がします。

 

 

7.規制が厳しい

住宅街であることを第一にするため厳しい取り決めがある場合が多いです。このことが足枷になって発展しない場合が往々にしてあります。品のある住宅街を目指していながら、結果、住宅だけがギュウギュウに詰まってしまっている。ちょっと立ち止まって、品のある明るい街をイメージして必要な規則を考え直してもいいのかもしれません。

 

8.歴史や文化を大切にせず特徴もなく、街に誇りが持てない

この影響は、特に大きいと個人的には思っています。

住宅ありきでガンガン造成した結果、特徴のないどこにでもあるような街になっています。

経済優先で最小限の児童公園がポツネンとあるだけの街も多く見られます。

少し想像してください。

そんな街に暮らす両親の家に子供たちを連れて里帰りしたとして、子供たちはその町に魅力を感じるのでしょうか?

 

 

 

 

逆にしてみたら魅力のある町に?

1.変化がない→→簡単に完成せずに変化し続ける

新興住宅街はすでに完結してしまっているように感じます。変化する余地がない、そんなイメージがあるのです。

面倒でも街のみんなで手を入れ作り上げ管理しなければいけないよちを残すことがコミュニティーにとっても重要ではないでしょうか?

 

 

2.住民同士のライバル心がある→→

        いろんな人がいることを当たり前に

新興住宅街に住まう人は、だいたい似たような所得の人たちです。それがライバル心につながり表面だけのお付き合いになってしまいがちなのではないか?(あくまでここは住んだことがないので想像ですが)価値観や経済性、考え方や暮らし方なども、もっといろんな人がいて当たり前の街になれば、ライバル心もなくなり心も安らぐのかもしれません。どんなゴミでも堂々と捨てることができるのかもしれません。

 

 

3.住宅は密集しているがコミュニケーションは不足しているので落ち着かない

        →→→落ち着く場所がる(自然が豊か)

お隣の音や視線にも寛容でいられる街でありたい。

自宅以外でも、景色のいい場所、そこに植物があるとなおいいです。

これらは、町にとっては無駄かもしれませんが、豊かな空間だったり景色も必要だと感じています。

 

 

4.住宅ばかりで変わりばえしない風景は、楽しくない

        →→→家族団らんができる、積極的に参加したい催しものがあるなど、地域で楽しむことができる

住宅ばかりでは面白くないのです。(道に迷うし(笑))駄菓子屋さんがあったり理髪店があったり(我ながら昭和な感覚ですが)

家族で安心して行ける居酒屋、

隠れ家的なイタリアンレストラン。水辺に面していたりするとなおいいですね。

催し物として、日曜日の朝だけ開かれるマルシェ。

夕涼みができる週末だけのおしゃれな屋台。

公園でのビアガーデン。

なんだか飲食ばかりだけど(笑)

そんな街だと、外から訪れる人も増えて私にとって楽しいのに(笑)

きっと街も活気づき、住みたい人も増えるのではないでしょうか。

もし子供たちが遊ぶなら秘密基地になりそうな場所があったりするほうが楽しんでもらえるかも。

(今は外で遊ばないのかなぁ~)

 

 

5.「見守る」と「監視」のハザマから、クレーム・犯罪に発展も→→開放性のあるコミュニティー

人は皆自分は間違っていないと思っています。殺人犯でも、自分は正しい!と主張すると聞きます。

そう、みんな正しいのかもしれません。

でも、100%間違っていない人などいないことはみんな知っています。

自分以外の人には正しくジャッジできるのに自分は100%と感じてしまうのです。あるお坊さんが、「私は間違っていない」と思ってしまったら、もうすでに間違っている。というようなことを言っていました。「確かに!」私にも思い当たる節があります。ついつい自分の心の中で「間違ってないもん」と思ってしまうことが多かったのです。おおいに納得してしまい、それからは自戒しています(笑)。

そんな視点を持てることが重要で、罰するのが目的になるものの見方をしないよう、支えあえるコミュニティーを、作らなければいけないと感じています。またコミュニティーについて皆で考える場所や仕組みを、時間も用意する必要があるかもしれません。

 

 

6.イメージが悪い(暗い、危険)→→→明るい、温かみがる、清潔・安全なイメージを

街を明るく清潔にすると犯罪が減るのは知られているところです。

では、どうすればそうなるのか、やはり住民の意識に働きかけることも必要なのかもしれません。前述同様、コミュニティーのあり方が問われているのだと感じます。

 

 

7.規制が厳しい →→→時には規制緩和も

安全で品のある明るい街をイメージして必要な規則を考え直してもいいのかもしれません。

私が楽しい街にするためにも(笑)

 

 

8.歴史や文化を大切にせず特徴もなく、街に誇りが持てない→→→歴史や文化に根付いて誇りが持てる

少し行けば自然があったり、語り継がれる物語のある建物や敷地があり、地域でその文化を大切に守ることで特別な場所になると感じています。

 

 

愛される街とは

素敵な街には、住民に愛される緑豊かな公園があります。

ニューヨークもしかり。

ニューヨークのハイライン

すでに田舎だから、公園を用意するまでもないと思いがちです。

でも、街は緑で魅力がアップします。

これは、人間の本能なのではないかと思っています。

北欧では森が身近にあり悩みがあるときは「森に行こう!」といわれるほどです。

ストレス軽減の対策に植物、木、森などが有効なのは医学的にも知られているところです。

2017年のデータですが

全国21都市「市民の地元愛」ランキング

 

福岡が1位

2位は札幌

二つの都市とも、車で20分も行けば緑豊かな場所があります。

緑豊かな公園があります。

また、センスがいいことも大切なようです。

「美」も大切にしなければいけない要素ですね。

 

 

住宅過剰の日本

冒頭でも紹介しました本にもありますが、2019年を境に日本の住宅は世帯数より多くなったようです。

それでも今も新しく新興住宅街が造成されています。その様子を筆者は焼き畑農業に例えています。

もう誰のせいでもないのかもしれません。人々にニーズがある限り止められないのです。

 

先日、市役所の空き家バンクを訪れてみました。

こんなに空き家があるのに、登録する空き家は少ないらしいです。

権利の問題。親族が集まる場として保存したい。など、理由は様々にあるとのことでした。

手放したくないけど活用の方法が見つからないという方が多いのかもしれません。

逆に、空き家をを求める人は多いのだとも聞きました。

建物も体も健全なうちに「すまいの終活」を話し合わうことがたいせつであり、そのことを皆が認識しなければこれから先、日本のあちこちでゴーストタウン化が進んでいくことでしょう。

その認識を共有し、今から街を変えて「未来の愛される街」を作ることが大切なのです。

 

 

 

住宅の寿命、人の寿命

 昨今、悲しい知らせが多く目につきます。

当たり前だった世界が大きく変わったことも一因だと感じています。

私の身の回りにも悲しい事がありました。

そして実感しました。
そんな中でも、人は眠り、食事をし、暮らしていくのだと。

そして、そんな暮らしを包み込むのは、人と家なのだと。

 最近まで日本の住宅は短命でした。

戦後、住宅不足で安価なもので早急に多くの住宅が必要で、

人口の増加、経済の成長も相まってすごい勢いで短命の住宅が増えていった為だと言われています。

反して、日本人の寿命は延びました。

長い人生、順風満帆の時ばかりではありません。

家族とうれしく楽しい時間もあれば、一人つらく悲しい時間もあるでしょう。

核家族化がすすみ、いずれ、多くの人は一人暮らしの時間を迎えます。

そんな中でも、人は建物の中で暮らしていきます。

その建物が、その人に寄り添うものであってほしい。そう、感じています。

 ソーシャルディスタンスが必要な、悲しい世の中です。

まさか、こんな世が訪れるとはだれも思っていませんでした。

そして、その影響は知らず知らずにジワジワと心に巣くってきている気がします。

リモートで会話できる世の中になりましたが、やはりリモートでは味気ない気がします。

効率のいい仕事の進め方に気づいたのと同時に、会えない寂しさにも気づかされました。

画面越しでは伝わらない、人と人の空気感がどうしたってあります。

 もうずいぶん前になりますが、不動産を営む方から言われたことがあります。

「あなたたちはいいよ、未来に向かって希望がある仕事だから」と。

その方いわく、不動産は困難に陥った方との仕事も多いのだと。

なるほど、おっしゃる通りなのかもしれません。

これから建物を建てようとしてらっしゃる方は、気力も体力も経済力あり

希望にあふれている時なのかもしれません。

でも、時は移ろいます。どんな人にも訪れるであろう人生の岐路が待っています。

始まりは終わりの始まりで、出会いは別れの始まりでもあります。

設計士は、そんな月日の移ろいも心に留めながら
これからの人生をも、包み込む、やさしい思慮深い温かい建物を

残していくことが大切だと感じています。

 

 

 

(2年前の改修工事。2階を解体してブルーシートをかけると青の世界が! ちょっと芸術を感じました)