小さな家は魅力的

「リビングは大空間にしたい」「寝室をもっと広く」「収納はたくさんほしい」などなど、2回、3回と提案を重ねていくうちに欲望が湧き上がってくる。それを、はいはい聞いていくうちに敷地にめいっぱいの平面計画になってしまうことがしばしばあります。敷地が狭く地価が高い土地ならば、それも致し方ないとは思います。しかし、一般的な宅地の場合はあまりお勧めするものではありません。昨今「小さな家の良さ」が見直されています。その理由をお伝えしようと思います。
大きい家にはデメリットとなる面が多々あります。
まず、敷地一杯に建ててしまって余裕があまりないと、採光や通風に影響します。それは周囲の建物に対しても悪影響です。自分が良ければそれでいい、と利己的なのは良くないはずです。近隣住民、お互いがお互いのためを思う社会のほうが、自分自身の為にもなるものです。現に、敷地にめいっぱい建てた家は、暗くなりがちで風も通らず不健康で不経済です。
 景観的にも、周囲へ圧迫感を与えてしまいます。建物は街並みの一環でもあることを自覚しなくてはいけません。古代ギリシャでは「建築家とは、神に代わって風景を創ることを許された唯一の人」とされていたそうです。現在では建築家以外にも風景を変えてしまうことができてしまいますが、それぞれが「神に代わって」と感じるくらいの責任を持つことができたら古代ギリシャのような美意識の高い、統一感のある美しい街並みができるのかもしれません。
 住宅計画は家族の人数が多い時にはじめることが多いものですが、いずれお子さんは独立、結婚をして巣立っていくことが一般的です。すると使われない部屋が発生します。掃除も滞り、空気もよどみその部屋には使わないモノがたまってきてしまいがちです。そして、その部屋から建物は劣化が進んでいき魅力が減り、ついては空き家と化してしまう。という流れが近年多く見受けられます。
 

そして何より不経済です。イニシャルコストもですが、ランニングコストもです。坪単価60万円だとして一坪削ってその60万円。総二階だと建坪1坪減らせば1階2階で120万円が浮きます。その分で生活の質をあげ快適に過ごすほうがずっと有意義だと感じないでしょうか。

 

では次に、小さな家のメリットを上げていくことにします。
 構造が堅牢になります。(設計次第ですが)小さい家は崩れにくいのはイメージが付きやすいかと思います。狭い箇所に柱も密集しますし、高さを抑えることで安定感が増します。

 

  ランニングコストのあまりかからない快適な空間で外部環境を楽しめます。今の住宅にはシックハウス防止のため、法律で24時間換気扇を設置するのが一般的です。高気密、高断熱を謳っておきながら24時間換気で温熱エネルギーを無駄に放出しているのです。建坪1坪削って浮いたお金で熱を変換できる換気扇に変更すれば省エネにもなります。容積が小さい分、エアコンも効率的になります。外部空間に余裕ができることで、風通し、日当りをよくすることができパッシブ効果も向上します。
 一説によると、快適な住宅に居住することで、四季節を楽しめるようになるといいます。個人差はあると思いますが、「寒い部屋で過ごしていると、雪の風景を楽しむ心境にはなれないよ」と聞くと理解できる気もします。

何より、快適な空間で暮らすと体調が良くなるという、最近の調査報告もあります。ヒートショックはもちろん、お子さんのぜんそくが治ったり、アトピーにも有効と聞きます。高齢化社会をむかえるにあたり快適な住宅にすまうことは必須なのではないでしょうか。

 他にも家族との距離感が近くなりますし、家族が減った時にもさみしくない広さで、掃除などの家全体の日頃の管理もたやすくなります。
  また、外観の印象もスマートになります。庭や周辺環境とのバランスもあるとは思いますが、大きい家のような圧迫感はなくなります。街並みの景観にも貢献できる空間を作りこともできます。
  それでも、「広々とした空間で暮らすのが夢なんだ!」という方もいらっしゃると思います。建坪が小さい家でも広さを演出する工夫はいろいろあります。とお伝えしたい!

 

  ひとつは、抑揚のある空間を演出すること。狭いところから広いところへ移ると、心理的にとても広く感じます。このように家の中に対局となる空間を作るのです。広さだけではありません。高さ、明るさ、などもです。いい建物にはリズムを感じます。

 

 他にも広さを感じさせる工夫に、ヌケ感があります。視線のヌケです。外部環境をどう室内に取り入れるかも設計の腕が試されるところです。

 

 動線を考えることも、狭さを感じさせないためには必要です。回遊できるような設計だと、狭さのストレスも軽減できます。

 

 他にも苦肉の策ではありますが、鏡をつかって広く見せる。壁の色を寒色系にする。などの小技も少々。これは、建築後のDYIでも対応可能ですね。

 

小さな家のメリット、お伝えできたでしょうか?

 

 最近は、ミニマリストの台頭も相まって世界的にもトレーラーハウスやツリーハウスなど、小さい家が注目されています。偏ったミニマリストはいかがなものかとも思いますが、何かを成熟させるためには別の何かを潔くあきらめる必要があると考えます。CUTがあってGETがある。スティーブジョブズも禅の教えから、かなりのミニマリストだったとか。お金持ちの家にはモノが少ないそうです。ドラマの中の金持ちの家はすっきりしているのもうなずけます。

 

 そんなことを考えながら、また、提案を重ねるごとにどんどん大きくなっていく平面図を眺めながら「また無駄が増えてくなー、まるで私の脂肪のようだ・・・」などと感じてしまうのでした。

(かつて建築界で「メタボリズム思想」というものがあっての連想です。)

 

 

住宅医について 再考

住宅医とは?

再度、(もしかして再再度?)説明をしたいと思います。

まずは、住宅医協会のあらましから。(うろ覚えですが。)

前身である岐阜県森林アカデミーより、木造建築物の維持管理について学ぶことの必要性を感じ発足。2010年、建築病理学(建物の病気の研究)の先進国である英国への視察をへて、日本でも普及させるべく2013年に発足しました。

 

日本国内では人口減少などもあり住宅は飽和状態、これからは既存建築物の再生・活用へと政府も舵を切りつつあるなかでの、トップランナー的な存在でもあり、モデル事業に選定されていた時期もありました。

 

早くより切磋琢磨して得た技術や知識を公開・共有し、これまでの反省点より改良を重ねながら多くの建築士に情報を開示し、また最先端の講師陣による教育で「住宅医」を育成してきたのです。

 

と、偉そうにつらつらと述べましたが、私はまだまだ一般会員。残念ながら住宅医には認定されていません。ですが、九州にも多くの仲間ができてきました。そして、困ったときには気さくに相談に応じてくれる講師の先生方がいます。

 

ほんとにほんとに親切に相談に乗っていただけることにびっくりです(笑)

以前のブログより。

http://www.gururi-a.com/blog/109/

 

住宅も人と同じです。検診を受けて悪いところを見つけ、患者さんと治療方針を決めて治療します。また、それらをカルテに記録し以後の健康管理に役立てるのです。人と違う点は価値を高めて、再利用や売買を行うことができることでしょうか。

 

※この筋交いはあまり役に立っていません!の例です。

 

住宅医協会では、「人間ドック」あらため「既存ドック」と称して住宅を検査・改修工事・維持メンテナンスを行っていくようなシステム作りも行っています。

 

せっかくオペ(改修工事)をするのなら、最善をつくすべきだと考えています。

 

※こういうのを見つけるとうれしくなります。

先人たちの生活に思いをはせてしまいますね。

 

昨年は福岡で住宅医スクールが開催されていたこともあり、 いろいろかかわることができました。それもこれも、情報を提供していただける仲間ができたおかげと感謝しています。

  

※これは絵図板といい大工さんが作成するものです。

きっときちんとした大工さんが、工場での手刻みに使用したものでしょう。

 

写真と文章にあまり関連性はないのですが、調査をした時の思い出の写真を載せてみました(笑)

九州の住宅医の活動も盛り上げていけたらと思っています。

 

 長崎にも仲間がほしいなぁ~。

豊かさとは2

小堀哲夫氏の講演を聞いてきました。

現在注目株の若手建築家です。

代表的な建物にROKI Global Innovation Centerがあります。

空調や光を最先端のプログラムを用いて取り入れ方ている方で、

レンゾピアノを彷彿させる建物だな~と感じていましたが、

そこには大切な思いが込められてのことでした。

 

「建築と環境と人間」と題してのお話でした。

建物と人間の間に環境があり、これが大切だと。

環境は、目に見えないものです。虚です。

光や影、風やにおいなど。

空気感、それとも「間」とでもいうのでしょうか?

それを作るのが建築なのだと。

ものを作るより、環境をつくる。

そして、その環境に「人の幸せづくり」もかかわってきます。

その空間を人がどう感じ、どう使用するか?

その会社、そのコミュニティ、その人のために、

どう行動することがいいことなのか、からの発想で環境をつくりあげています。

建物だけではなく、人を巻き込んでいく建築とでもいいましょうか。

開かれることが大切であれば、どんどん人が集まる空間をつくる。

そして、新しいつながりが生まれ、新しいことが始まる。

そんな建物には、とてもおおらかなものも感じました。

 

私は、そこに時間の考えもプラスしたい感じています。

今までの歴史、これからの人の成長、季節の移り変わり、一日の移ろい、

そして、人の移動もです。

 

大きなことを言っているようですが、

根底にあるものは住宅にも共通すると考えています。

お金をかけて作るだけではなく、豊かな住宅を作りたいですね。

 

豊かさとは1

設計事務所に設計を依頼する利点は・・、と考える。

暮らし方から一緒に考え、豊かな空間を実現できること。かな、と

じゃ、豊かな空間とはどんな空間か?をと考えていて、

それは、やはり個人個人で違うのでしょう。

じゃ、豊かさを感じる瞬間は?

きっとそれも人それぞれなのではないでしょうか。

たとえば

私が感じる豊かな瞬間は、

おいしいものを食べているとき、家族や仲間と笑顔で過ごす時間、

緑の香りのするそよ風を感じる瞬間、など

そんなことを想像するだけで幸せになるものです。

 

 

 

お正月は親族の集まりが度々あり、久々ではありましたが

我が家の囲炉裏を使いました。

これも、また、豊さを感じた瞬間でした。

焼きおにぎりの写真を撮るの忘れてた!

 

いい仕事

人は迷うものです。

最近迷っているお客様が多い気がします。情報が多いせいかもしれません。

安い買い物ではないし、まして暮らし方、生き方まで左右しかねない住宅となると、それは迷って当然です。仕方のないことだとも思います。

今や医療でもセカンドオピニオンが重要時代ですから、住宅もそうなのでしょう。

 

「これでいいのでしょうか?」と尋ねられることもあります。

 

正直、設計事務所に住宅を依頼するとローコスト住宅は期待できません。

いや、作ろうと思えば作れますがどこかを犠牲にするのかを正直に申し上げます。こっそりどこかの性能を落とすなどしたくないのです。なので坪単価も高くなりがちです。

地場の大工さんや工務店に依頼すれば、発生することのない設計料も高く感じることでしょう。私だってそう思います(笑)

じゃ、自分で設計できればいいのですが、やってみるとわかりますよ。これがなかなか難しい。間取りをあれこれいじっているうちに、不自然な形になってきたり、意外と難しいのが階段の位置、、そしてトイレを忘れたり(笑)。

機能性重視のローコストなすべて既製品でできたお家もいいのですが、それでは愛着のない家になってしまいます。

何が言いたいかというと、

どうせ高額なお金払うなら、豊かな暮らしができる家に住みませんか?

と言いたいのです。では、何が豊かさなのか?

それは、人それぞれです。

なので大切なのは、最初にコンセプトを決めること。

自分がどう暮らしたいのか、どんな人生を過ごしていきたいのか。です。

同じゴールを目指して協力し合えることが、建築士に依頼するメリットです。

なので、早くて安い家は作を作ることはしたくはないのです。

 

先日、先輩建築士さんがおっしゃってました。

一つの仕事に全員がどれだけ集中できるか、そこでいい建物になるかどうかが決まる。と。

 

発注者、考える側、作る側、が共に一つの方向に集中した仕事はいい仕事になります。

迷っていてはもったいないのです。

 

とそんなことを思う今日この頃です。

 

高性能と豊かさ

 

 「家の作りやうは、夏を旨とすべし」

有名な兼好法師、徒然草の一節です。家は夏向きに作るとよいにつづいて、「冬はなんとでもなるさ」とも。

700年前の昔、着物を何重にも着ていたこともあるのでしょう。

確かに、正月に着る着物は暖かかったと記憶しています。

そんな暖かい着物を脱ぐ場所、それは厠と風呂でした。

 

 家の中で一番寒い場所は北東とされていて鬼門と言われています。

昔、この場所にトイレやお風呂を作ると体調を崩すと言われたことから、忌み嫌われるようになしました。一番寒い場所で、服を脱ぐのでヒートッショックを起こしたものと思われます。心臓発作や脳梗塞ですね。

北東は古来の丑寅の方角で、牛の角と猛獣の虎で鬼を連想させたのだとか。それで「鬼門」と言われたとか。

現在の住宅では、兼好法師の考えはと逆となり(冬を旨とし)、更に鬼門である北東も暖かくなりました。なので、鬼門も恐れるに足らずです。(諸説あるようですが)

 

 「高気密、高断熱の家を!」と言われるようになったのはここ最近です。京都議定書のころは耳馴染みのないフレーズで、まだまだ薄っぺらなグラスウール全盛だったと思います。かろうじてOMソーラー協会などで、パッシブという言葉がささやかれていた記憶があります。

それがここにきて、国の法改正もあり、「高気密、高断熱」の住宅が求められています。メーカー各社も我先にとゼロエネルギー住宅を打ち立ててきました。私も寒いのは大嫌いなので、高気密・高断熱は必要不可欠だと感じています。「高気密、高断熱」の家だからできる、豊かな室内空間もあります。

 

 しかし、あまりに高気密・高断熱を突き詰めすぎるのはいかがなものか?という考えに変わりつつあります。最近特に多いのが、東西の窓を極力少なくしたものです。夏の日射取得率を下げるためです。高断熱になった分、熱を取り入れると逆に蓄熱されてしまい夏の省エネにつながりません。逆に冬には積極的に日差しを取りいてたいのですが、窓は断熱効果が低いため評価は低いのです。

内と外のつながりも大切です。朝日が刺す部屋は魅力的ですし、良好な景色を切り取る絵画のような窓も必要です。夏の日差しには、すだれを垂らすなどの暮らし方の工夫や落葉樹の植樹で対応できますし、外と内をつなげる豊かさも大切にしたいです。

 

 兼好法師はこうも言っています。

「造作は用なき所を作りたる見るも面白く万のようにも立ちてよし」

「無用の用」と言いたいのでしょうか?

(一見、役に立たないと思われるものが、実は大きな役割を果たしている)

老子の言葉では「何かが「有る」という事で利益が得られるのは、「無い」という事が影でその効用を発揮しているからなのだ」ということだそうです。勉強になりますね。

 

私がいいと思うのは「見るも面白く」の部分、つまりデザインの事なのでは?デザインは文化だとどなたかがおっしゃっていました。(不倫ではありません)この時代、見た目も重視されていたのです。つまり文化的だったのです。

 

昨今、快適、省エネを求めるばかりに文化を軽んじてるといいましょうか、心が貧しくなる傾向があるのではと危惧しています。そこで私は、高性能に豊かさを加えることが理想の住まいと考えています。(多少非効率になるかもしれませんが)

 

 

 

余談ですが、兼好法師は最後に「人の定め合ひ侍りし」と言っています。訳すと「ある建築士が言っていた」となるそうです。

なんだ、法師様、自分の考えではなかったのか!という結末です(笑)

 

木の良さについて 再確認(森林編)

 前回から一か月が経過してしまいました。週に一回は更新するのが自己目標なのですが、「先送り体質の改善」が先決のようです(笑)

今回は森林の効用について書き出します。(よく手入れされた森林ですね)

 

 ◆二酸化炭素を吸収し酸素を作り出します。

二酸化炭素の吸収量は年間9,700万トン。(正直トンだとピンときませんが)

1本の木が一日当たり、約30リットルの酸素を作ります。(意外と少ないですね)人一人当たり1日に480リットル必要なので、一人に16本の木が必要です。

 

◆水を保水し、きれいな水を作り出します。

森林の保水力は琵琶湖の1.6倍あると言われていますが

土の質や厚さにより変わるようです。大雨時のピーク流量を2/3カットし水害を抑えてくれます。(土砂崩れに関しては、地層のすべり面が浅い場合に森林は有効になります。)

 

(水神様でしょうか?災害防止の意味もある町内の治山作業の風景です)

 

◆生物の多様性、貴重な生物の生息環境を守る。

約200種の鳥類、約2万種の昆虫ををはじめとする野生の動物・植物の貴重な生息・育成の場となっています。

そして、

◆木質資源を持続的に供給しています。

◆森林浴、で気持ちよくなることも入れておきます(笑)

しかし現在、山林の個人所有者にとっては山は負債扱いです。外国からの安い材が輸入されるため、管理にお金がかかる割に木が売れないからです。そのため、管理されずに放置されている山林もみういけられ、山林は荒れてきます。動物も住みにくくなり野生動物は里に下りてきます。

 

(写真は町内の山です。それほど荒れていません。荒れた山林は人も踏み入れなく真っ暗です)

戦後の住宅不足に伴い、盛大に植林が進んだことも要因しているのかもしれません。

今、日本の木材は伐採時期を迎えています。(長崎は少し遅れ気味のようでもありますが)そこで国も木材の使用を後押ししており、弱点を補うような試みもあります。

例えば、木材では難しかった柱なしの大空間やビルを作られるように、トラス工法やCLT工法を普及させようとしています。

公共施設は木造に移行するように推し進めています。

(CLT工法の公共施設です。普及することによりCLT材も安価になり住宅にも使えるようになるでしょう。そうなってほしいものです。)

外国の安い材を使うことはシロアリ被害に遭いやすいと言われています。何より、その地域の厳しい自然環境に耐え忍んだ材が適しているのは明確です。また、地場の材を使用することで輸送にかかるエネルギーも削減できます。
 

(町の中に小さな里山を作り、木の素晴らしさを伝える試みを行っているミズタホームのやまぼうしの樹。建物と樹木の関係がとてもいいです。子供たちへの「木育」も大切ですね)

山の植林は、ご先祖様が私たちのことを思い残してくれた財産です。その山がこのような扱いになるのも、経済を優先する風潮から来るからなのかもしれません。

私たちも、子供たちに豊かな自然を残していける先輩でありたいです。

地域を彩る女性起業家

ぐるりな日々, ブログ

2017.11.10 (金)

地域を彩る女性起業家

というイベントに参加してきました。

 

地域を彩る女性起業家@アクロス福岡-参加企業さまの募集

このようなイベント教えていただいた「ののデザイン」の渡邊さんに感謝です。

第一回ということもあり、関係者の方々は大変だったことと思います。

 

いろんな方とお話ができて刺激的でした。

 

起業をしている女性というと押しが強いイメージで、こちらとしてはちょっと尻込みしてしまうように思っていましたがそんなことはありません。

いろんな方がいらっしゃいましたが、みなさん志が高く、いい人ばかりでした。

今後の活躍が楽しみです。って私も他人事じゃないか。がんばります!

 

目がもやもや!

ぐるりな日々, ブログ

2017.11.02 (木)

先日、PCに向かって図面を書いていると視界の真ん中が見え難くなってきました。太陽を見た後の残像が目に焼き付いた時のように、見たいところが見えない。片目をつむってみたり、目をしばしばしても治らない。目をぎゅっと押してみたけど治らない。あ~、仕事にならない!これは、何かの病気なのか?と思ってググってみました。

 

「目がもやもやする」っと、

 

そんな表現でヒットするのか?と思ったのですが、出てくる出てくる。みんな、「もやもや」してるんですね(笑)

 

 

グーグルはすごいなー、と感心したのと同時に、最近は孤独感が減ったな~と実感。

自分と似た人、似た思いを抱えた人を(ネットの中でですが)、見つけることが容易になっています。身の回りの人から探すより、それはそれは簡単なもので「もやもや」っとした表現でもヒットできるのですから。

簡単なだけに少し怖くもあります。異様な事件もネットがらみだったりする昨今、やはり身近な人も大切ですね。信用・信頼が大切な時代と誰かの本にも書いてありました。(キングコングの西野氏の本)

自分と同じ思いの人と簡単につながれる分、偏った考えにも走りがちなのではないかな~という思いもあります。見たいものだけ見て心地よく暮らすことができるので。間違った方向に走らなければ、多少偏ることもいいとは思うのですが、ある程度のブレーキも自分で持ち合わせていないといけないということですかね。

 

私の母は75歳、今年になってスマホデビューを果たしました。今まで携帯電話も使えなかったのに!です。先日、どっかから請求書来てるけど何の請求書?とラインに写真付で届きました。しかしその直後、私が解決する前に、「役場の人が来て教えてくれたから大丈夫だったよ~。」と電話が入りました。

すごいですね。一老人の請求書の為に役場から心配して説明に来てもらえるのですから。話を聞けば、私に送った写真を間違えて他にも送ったら拡散してしまったらしいです。恐るべし。老人間のネット社会。個人情報ダダ漏れです(笑)

 

ところで、「目がもやもやする」の正体は、閃輝暗点(せんきあんてん)というものらしいです。原因はあまりはっきりしてないらしいのですが、そう気にしなくてもいい感じでした。が、この症状は片頭痛の前触れらしいです。痛くなってはたまらないので、予防のためにちょっと昼寝しよ。なんて横になったら、たっぷり寝過ごしてしまいましたとさ。

 

また、書くことがないものでしょうもない記録を残してしまいます。

変わらないもの

ぐるりな日々, ブログ

2017.10.23 (月)

「悲しみは愛にも似ている」

本を読んでいたらこんなフレーズに出会いました。

若いころだったら「なんてクサいセリフなんだろう」と思ったに違いありません。どうせなら、悲しみなんてないに越したことはないよ。と

 

以前は幼児や少年期が中心だった発達心理学の研究も、最近では中年、壮年の分野でも進み、40~50代の中年期では焦りや葛藤を覚える時期なのだそうです。衰えゆく肉体から「自分の人生これでいいのか?」とふりかえってしまうものだということです。なるほど、自分も確かにそうだ(笑)。

 

そんなことを考えながら、これを成長と呼ぶのだろうか、あるいは老化と呼ぶのかもしれないぞと考えていました。そんな時に「悲しみは~」のフレーズに出会い、そうか、悲しみがどんどん蓄積して年老いていくんだ。そして、人生に深みが増してきて「愛」が身に染みて感じられるようになったんだ。などと納得したのでした。悲しみがなければ、愛も深まらないのかもしれませんね。

 

 

わが家には、愛犬シーザーがいます。シーザーが子供のころ盲導犬の赤ちゃんとして一年間わが家で成長して(パピーウォーカーというボランティア)、訓練ののち盲導犬として仕事をしていました。その後病気になったシーザーは盲導犬をリタイアして帰ってきたのです。

 

パピーウォーカーを始めた動機は「ペットの死に目に会いたくないから」というものだったのですが、結局最後まで面倒を見ることにしました。やっぱり一緒にいたかったから。今から悲しみを抱えて精一杯最後まで逃げずに一緒にいようと覚悟を決めたのです。これぞ、愛だ!と。私も変わりました(笑)

 

そうやって人の思いは変わっていくのですね。モノだって姿を変える。じゃ、変わらないものって?と禅の教えのような問いに、誰かが「情報」「記録」は変わらないと言っていたのを思い出しました。

 

何を言いたいのかわからなくなってきたので、この辺で。また、しょうもない記録でも残します。