子供部屋につてい

かつてより、子供部屋についてはいろいろ論争がある。
戦前、まだ子供部屋の考えは一部の裕福層のみで、
多くの家に子供部屋はなく居間をいろんな形で活用していた。
食事や勉強をし、夜にはちゃぶ台を片付けて寝室にも使っていた。
その後、「寝食分離」の考えが一般化し寝室が別に用意されたが、まだ子供部屋が与えられるにいたらず、子供部屋が当たり前になったのは、高度成長期以降だろうと言われている。
アメリカのドラマが日本でも放送され、西洋の文化にあこがれをもった日本人は、どんどん家を大きくしてきた。
「うなぎの寝床」「ウサギ小屋」と揶揄された日本の住宅を恥じてのことだったのかもしれない。

その当時、玄関ホールに階段があり、2階に子供部屋がある家が多かった。
小さく仕切ることで温熱環境の管理もしやすくプライバシーを守るには最適だ。
逆にふすまで仕切られるだけの間仕切りを「気配を感じることができていい」という論調もあった。
その後、子供が「茶の間も通らずに部屋にこもる」や「来客に挨拶もせずに子供部屋へ行ってしまう」などの躾に不都合との声から、居間を通らないと子供部屋へはいけないように、との要望が増えた。(今も)
最近は、勉強は居間で行った方がいいなど、子供部屋の存在自体が議論されている。

大切なのは、なぜ子供部屋が必要なのか?ということだろう。

自我の目覚めと自立の為に必要なのか?
勉強に集中する環境を用意するために必要なのか?
大人がプライバシーを守るために必要なのか?(←これ、とっても大切だと私は思う)


子供部屋を与える前に、本人も交えて話し合うといいのだとも思う。
子供の性格も様々、一人になる時間が欲しい子もいれば、
子供部屋をほとんど使わない子もいる。
親としての考えも様々で、ある程度管理できる状況にしておきたい親御さんいれば、子供の自主性に重きを置く親御さんもいる。

自立心を養いたいのであれば、一緒に話し合い、子供部屋の活用の仕方を本人に決めさせるのもいいと思う。
ある程度の広さも確保し、自分の物を管理させるように収納も用意する。

子供部屋を勉強部屋とするなら、集中できる環境を用意してあげるといい。
音はなるべくさえぎることができるようにし、できれば緑が視界に入るといい。インテリアには青色を取り入れることで気持ちが落ち着くし、集中力が増す。

部屋の目的が休息となるなら、暖色系やピンク、または木材の使用もいいと思う。

いずれにせよ、家族のコミュニケーションのあり方が重要で、大人の都合で考え子供部屋を与えるだけではなく、子供部屋の使い方や約束をお互いに話し合うのがいいのかもしれない。

子育てや親の在り方に正解はない。
これは私のただのおもいとして。


古来は「子供」という概念すらなかったらしい。
中国では官僚を育成することで「お家」が栄えるので、古来から教育に重きが置かれていたようだが、多くの国は「子供」はただの弱くて小さい人で、農耕の働き手として扱われていたそうだ。
亡くなってしまう子が多かったからか愛情をもって接するもの、という考えは意外と近年に生まれたという。
愛情を注ぐべき存在となったのは、啓蒙主義が持ち上がったころのよう。
日本では西洋の文化を取り入れ始めた、明治以降ということになる。
「お家」と「家庭」や「家族」を区別するようになったのも、明治以降のようだ。
このころから、各家族が増えていくことになる。

などなど、今の常識は、以外にも時代と場所が変われば非常識ということになる。
失敗を恐れて、常識的な家になりがちだけど、常識に惑わされず自由でいいのでは、と常々思う。
とはいえ、自分の家ではないのでなかなか冒険もしないのだけど(笑)

家の大切な役割、基本は命を守ること。そして育む場だとも思っている。
人格形成にとって最良の場であってほしい。


中古住宅を買うという選択

ウッドショックの余波は今も続いています。
そろそろコロナの影響も落ち着くかと思ったやさき、戦争の勃発で世界経済は再度昏迷状態になってしまいました。
グローバルな時代になって便利になった分、影響はすぐに世界にも及ぶとを実感しました。

建築の坪単価は高騰し続けています。
収入は上がらないのに物価は上がるし、税金も上がる。
夢のマイホームは夢のまた夢なのか・・・・。
でも愚痴は言わずになんとかしましょ!(と、商業的な回答ですね。)

中古物件を買って工事をするという選択肢はどうなのか?
実は中古物件の価格も上がってきています。
低価格で立地条件が合う物件に巡り合うことができるかどうか。
めぐり合わせしだいでしょう(こんな回答は、もともこもないですね。)
もう、それは恋愛のような「出会い」なのかもしれません。
肉親から建物を譲り受けるのであれば、違ってきます。
しかし、そうであってもフルリノベーションとなると、やはりお金はかかるもの。
基礎、外壁、屋根に手を入れなければならない物件であれば、
安く買える住宅並みになるかもしれません。
どこまでの性能を求めるか!でも工事価格も違ってきます、が
できれば性能をアップさせたい。
減築が一番いいとは思っているのですが、解体費もバカになりません。
そこで、減築せずに性能を上げる部分を限定することも勧めたりします。

長期優良住宅へとリノベーションすると補助金があります。
が、しかしハードル高めです。設計委事務所が頑張らなければいけない分野です。
今年の10月より、その基準も変わってきます。
現在、すでに高性能な住宅のリノベーションにとっては有利になるようです。

立地条件のいい物件は、価格も思いのほか高くなります。
どこで妥協するか?
自分が一戸建てを求めようと思った理由に立ち返りつつ
進めるのがいいと思っています。

先日、知人と雑談していて
「日本も欧米のように建物に手を入れてレベルアップして販売するようになればいいのに」
と言うのを聞いてちょっと嬉しくなりました。
本当にその通り!と。少し前にはそう言ってくれる人もいなかったからです。
なぜか日本人は中古を嫌います。
平安時代の都の遷都も、中古を嫌う日本人気質から来ているような気がします。
(私の勝手な解釈です)
しかし今回の物価高騰で、皆さんの意識も少しずつ変わるかもしれません。

余談ですが、中古車の価格も上がってきていて、外車は購入できないそうです。
なので中古の外車の買い取り額は高くなっているのでは?と思い
お世話になっている修理工場の方に聞いてみると、逆に下がってきているそうです。
今後メンテナンスに費用と時間がかかるようになるからでしょうか。

世界状勢からの物価高騰もさることながら、
食糧難も危ぶまれています。(不安をあおる気はないのですが)
自然豊かな日本を大切にする時が来たのだと感じています。
今あるものを大切にする時代。
まさにその時なのです。開発して宅地を広げるより農地や山林を温存したい!

皆が地球環境に愛着を持って接することで、世界は少しずつ改善すると思っています。
小さな一歩から。
ハチドリの一滴のように。

よい家は欲張らない

住宅の計画は欲張っても、総合的に見て良い結果にはならない。と思っている。 欲張る、というのは要望をたくさん盛り込むというとこ。 以前も書いたことがある。 建物の計画をすすめていくと、どんどん欲が出て、どんどん面積が増えて不格好な建物になっていく。当初の計画はシンプルで無駄がなかったのに、だ。多くの欲(原因)は「利便性の追求」「収納の量」「個室の数(あるいは広さ)」などだ。打ち合わせを重ねる度に建物の形がいびつになり、そして、建設費は増えていく。 今後の生活で何を重視するのか?という「コンセプト」がブレてしまい、迷いながら計画を進めるためだと思う。情報過多の現代では、細かい情報にあふれている。失敗したくないと思うあまり、あれもこれもと要望をモリモリに盛り込んでいては、どうしてもあちこちにしわ寄せができてしまう。 かたちの「イビツ」さは、「恰好の悪さ」だけの問題ではない。 構造強度にとっても不利になる。 建築費が増え経済的にも余裕がなくなる。 水じまいだって悪くなるかもしれない。 大きくなってしまった分、敷地の余白が減ってしまい光や風通しが悪くなる。 そうならないためには、計画を少しずつの手直しするよりも、息詰まったら再度、新たに考え直すことが必要かもしれない。改めて「この建物に大切なもの(こと)は何なのか?」「どうして、建てようと思ったのか?」に立ち返ることが大切だ。 何事でもそうだと思う。何かに没頭した後には俯瞰する。それを行き来することが大切で時にはリセットが必要になるはず。そこは手を抜かずやり直さなければいけないと思っている。 建物に関して、人の行動やモノの増え方を予測することもある程度は必要だけれど、人間には適応力があるはず。とおい未来を予測してもその通りに変化するとは限らない。どこまで心配してもきりがないのだ。それより「建てる意味」を忘れないようにすべきだと思っている。楽をしようとする気持ちもほどほどに、計画には柔軟性を持たせることで、経済的にも余裕が生まれ生活も豊かになるはずだ。 すべてにおいて、感じることだが、 不安や不便さを受け入れることが今後の世界の重要なキーワードだと思っている。 人間は効率重視の世界につかれてきている。「ムダ」が大切な時代がはじまっている気がしていて、そして「ムダ」は「幸福」や「豊かさ」につながっている気がしてならない。

楽をするための工夫より環境からいただける豊かさが大事だと思っている。

見た目

「女性建築家だから、女性の立場で設計できるでしょう。」とよく言われる。
きっと、家事を全くしない男性よりは「女性の立場」に立てるのかもしれない。
けれど、好みや価値観は星の数ほどたくさんあって、
簡単にステレオタイプに語れないのが女性だ。
一筋縄にはいかない。
女性は一か月のホルモン周期で人格が変わるとも聞くし自分でもそう感じたりもする。
女性のことをひとくくりにできるなんて思えないし、
「女性の味方です!」などと軽々しくも言えない。(敵ではないけどね。)
元来、自分を人に決めつけられるのが嫌な性分のせいもあって、
「女性」性を武器にすることに抵抗を感じていた。
けれど最近、死ぬ前に女性であることを楽しもうかな~、
などと遅ればせながら思うようになった。
もう少し早くこの思いが「発動」していたら人生が変わったかもと感じることが最近多い。
見た目が変わると人はこうも対応が変わるのかと感じてしまう。
 

そういえば若い時には、多少はチヤホヤされもした。
若さゆえのことだろうと高を括った、ひねくれた若い娘だった。

きっと表面より中身を見てもらいたい思いが強かったせいだろう。(自身もないくせに)
その後、結婚・出産でふっくらとなり、
とあることで一か月入院して筋力がなくなったせいかドンとふとりだし
飽和状態と思えるまで太りに太った(笑)
そのころ、太ってみて感じたのは人が私に対してとてもフランクに接してくれることだった。
いじられたり馬鹿にされたりするのも面白く思え、そのことで気も楽になって、
見た目度外視で真の人として扱ってもらえている気もした。

それはそれで幸せだった気がする。
でも、さすがに体調がすぐれなくなって数年前からジムに通い、
アルコールもほどほどにして、

ここ数年は体重も出産後のふっくら?くらいにもどった。

 

 

それでも、ショートカットのボサボサ頭で女性を捨てていたのだけど。
昨年から、そんな自分にも飽きてきた(笑)
きっかけは着物を着るために髪でも伸ばそうかと縮毛パーマをかけたことに始まる。
それだけのことで、人の見る目が変わることに気が付いた。
きっと普通は10代20代で気づくだろうことに、不覚にも50代で気づくという(笑)。

 

きっと私たちは見たもので気持ちを動かされてしまうのだろう。
身の回りにたたずむモノたちに気持ちを動かされてしまう。
好きなものに包まれていればテンションも上がる。
見た目だけではない。モノから発する何かがある気もする。
オーラなのか、気配なのか、実際放出される熱なのか、湿度なのか、匂いなのか。
何かしら伝わってくるものがある。知らず知らずに五感で感じ取ってしまうものが。

 

建物の素材は、面積が広い分きっと顕著に感じられる。
キラキラゴージャスもテンションが上がっていい。
けれどできればそれは外出先で楽しみたい。
ゆっくり休むには天然のものに包まれるのがいい。
人間の歴史的にも自然なことだからだろうなと思う。
あくまで、「個人の感想です」が。

 

自分も誰かに影響を与えてしまう存在であるなら、
少しはきれいでいて気分よく過ごしてもらわねば(笑)
まだまだ、手抜きが多いけどもう少し女性に帰れるよう努力しようかな。
女性建築家!って胸を張って言えるまで。(でもやっぱりちょっと面倒かな)

住環境を変えたいと思ったら

さて、何を書こうかと思い「何が知りたい?」と知人に聞いてみたところ、

住宅取得までの流れを知りたいとの回答だったので、

ここで初心に戻り一から書いてみます。

 

今の生活を変えたい。そう思って住宅購入などを考えたはずですが、

まず、どうしてそう思ったか「理由」を整理してみてください。

・家族が増えるから

・音や隣家への気遣いにつかれたから。

・賃貸の費用がもったいないから。

・資産形成

・老後の不安

・ペットと暮らしたい

などなど、さまざまです。

冷静に考えるためにも、自分たちの初めの「理由」を覚えておくことは重要です。

家族で話合いの過程もわかりますし、感情に流されないためにも書き留めておくことをお勧めします。

冷静な判断のためにも、「理由」に引き続きネガティブな「リスク」も書き留めておくことをお勧めします。

(普通の営業はこんなこと言わずに、明るい未来イメージのみで、自社をお勧めするところですが(笑))

「リスク」が全くない選択は存在しないと思いますが、そのリスクを受け入れる覚悟ができますし、

「リスク」に対しての対処法も先に考えておくことが大切です。

受け止める心の準備ができるからです。

また、あきらめる基準も前もって決めておくこともおすすめします。

では次に、住生活を変えるために、考えられる選択肢としてあげていきます。

・別の賃貸へ引っ越す

・マンションを購入する(中古・新築)

・一戸建てを購入する(新築する)(中古・新築・建売)

・現在の住まいをリフォーム。あるいは建て替える。

 

これらが、選択肢に上がってくるはずです。

先ほど考えた「理由」や自分の暮らしと照らし合わせながら、これらを比較します。

その際、今後予想される生活の変化などに対応できるか?(お子さんの進学など)費用は?

ローンを組む場合の返済額は?それ以外にかかる費用は?(税金など)

など、時間の経過とかかるお金の検討も忘れずに。

次に、情報が必要です。

ネット社会になりましたし、情報収集はたやすくなりました。

しかし、何が正しくて何が間違えか見極めるのは難しいですね。

なんとなく自分がどうすべきか見えてくるとは思いますが、

まだまだ簡単に決定はしないでください。

ここから、実際に不動産会社、建設会社との相談へと流れていきますが比較検討は大切です。

 

可能性のある選択肢の中で数社にアプローチします。

金銭面で、借入の必要がありましたらこの段階で銀行へ相談に出向いたり、

FP(ファイナンシャルプランナー)へ相談したりします。

現状の把握、今後の資金計画に知恵を貸してくれます。

また、この後、各社の営業が必死にアプローチしてくることでしょう(笑)

その時、先ほどの「理由」「リスク」が役に立ちます。

銀行・FPにしろ、各社の営業にしろ、工事推進派であることは間違いないはず(笑)

冷静な判断が必要なところです。

ここまで、ざっくりしたアドバイスでした。

では、いざ「工事」を行うことにした場合へと進みます。

 

工事を頼む時の選択肢として

 

・知り合いの大工さんに頼む

・お気に入りの工務店に頼む

・設計事務所に頼む

・ハウスメーカーに頼む

 

などが考えられます。

それぞれについて、考えてみます。

 

 

・知り合いの大工さんに頼む

利点としては知り合いなので、そうそう手を抜かないこと。

好意で何とか安く上げようしてくれることでしょう。

多くの場合、最初の計画もざっくりとしたもので、着工していきます。

大工さんに頼んだ利点として、現場で変更を聞いてくれる。と考えますよね。

しかし、実はこれは危険です(笑)。知らぬ間に違法建築物になってしまったり、構造的に問題が出てきたりしてしまいます。

最近の大工さんはモラルも上がって、キチンと設計士に相談してくださる方が増えました。

(つまり、設計士もかかわっているばあいがほとんどです)

また、このような現場の変更が増えると、工事後に追加請求を申し出されることもあります。

気持ちよく工事を終えたいので、お互いコスト面での気遣いは大切です。

 

 

・お気に入りの工務店に頼む

工務店さんも、親身になって要望を聞いてくれます。

「施主と一緒に作り上げていく」という感じです。

見積もりもざっくりしたものではなく、細かく拾い上げているので工事後の追加請求もあまりないと思います。

計画もイメージがつきやすいパース(写真のようなイメージ図)で示してもらえることがほとんどです。

最近の工務店さんは勉強熱心です。コンプライアンスや、気密断熱はもう必須です。

営業の方の人柄も大切です。

工務店さん独自のポリシーや独自性を比較して検討するのもいいでしょう。

 

 

これじゃ、設計事務所に出る幕ないなと思ってしまいます(笑)

でも、負けずに設計事務所の利点を説明しますね。

 

・設計事務所に頼む、

では設計事務所に頼む場合の利点を再度説明します。

工事金額と設計料は、別々の支払いになります。高くつくと思われますよね。

実は工事金額が工務店さんに直接頼むより安くなります。

これから、その理由をのべますね。

1、新築の場合、そもそも工務店さんの見積もりの中に、設計料は含まれています。

管理料の中に含まれて明細には出てきてないかもしれませんが、どの現場でも設計士の関与が必要だからです。

2、設計士は図面をたくさん用意します。事前に細かく決めていきます。

図面をたくさん用意し細かいところまで指定した場合、下請け業者から上がってくる見積もりも安くなります。

漠然と「坪○○の一軒家で見積もって」と言われたら、

「細かいところがわからないな。損をするかも。高くしておこう!」となりますよね。

それより、「この器具が何個」、「この仕上げは何㎡」、「コンセントはここに二口」と細かく指示がある場合

ごまかしが効かないからです。

3、さらに相見積もりや、入札などを行うと各社頑張ってくれるものです。

その分、仕上げや設備にこだわったることが可能だったりしますよね。

コストとは関係ありませんが他にも利点があります。

工事がきちんとできているか、第三者の目で監理を行います。

その他

手続きが面倒で安くなっている敷地なども、設計士事務所に頼むとなんとかなるかもしれませんよ。

と、手前味噌ですが、設計事務所へ頼んだ場合の利点を挙げてみました。

 

ではデメリットは?

形(デザイン)にこだわりすぎて、生活がしにくい家になることがある。

設計士の熱い思いが先行して、不必要な装飾多くなったりする。

 

少し前にこのような声を聞くこともありました。

きっと一部の設計士さんの話だと思います(笑)

・ハウスメーカーに頼む場合

ハウスメーカーは、品質も良く安心感があります。

最新のテクノロジーも組み込まれていますし、営業マンは補助金、税金控除などの知識も豊富です。

購入するのにもいろいろ考えずに、カタログやモデルハウスで確認し選択することができます。

ただ、その分お高いです(笑)。CM代、営業代にお金がかかっていますし仕方がないのです。

あまりあれこれ、考える時間がない忙しいご夫婦には、クオリティーも高いですしお勧めです。

しかし、家づくりを楽しみたい方には物足りないかもしれませんね。

そしてもう一つ、後々のリフォームが自由にできない建物も多くある点は考慮しておく必要があります。

 以上、「住生活を変えたいと思ったら」思いつくまま列挙してみました。
年を重ねるごとに変化することが億劫に感じられます。否応なしに時代は変化してしまうし、昨今はそのスピードの速さに負けてしまいそうです。

でも新しいことを始めるのは、ストレス解消にもなるらしいです。

変わらない部分を大切にしながら変化も楽しんで受け入れたいですね。

 
 島原の猪俣金物店のかき氷。

中庭の池にはカメが20匹ほど。たまに脱走もするそうです。

赤ちゃんカメも4匹誕生していましたよ。

チーム力

先日、熊本の八千代座へ歌舞伎「古典へのいざない」を見に行ってきました。

近年、友人のお陰で毎年観劇することができ、そして今年も、とても感動的な時間を過ごすことができました。

自分へのご褒美!といっても、ご褒美もらえるほどのことはしていないので(笑)

自分への慰めかもしれません。

いやいや、叱咤激励ですね。

友人には感謝するばかりです。

 

さて、今回は工事現場の話を、と思います。

建築工事は、多くのプロの職人さんがかかわって造り上げていきます。

多くの職人さんは、下請けとして作業します。

どんなに大きな会社でも、この形態はあまり変わりません。

社員として何人かの大工さんを雇用していることはありますが、

多くの職種は他の会社(または個人)に発注して、作業をしてもらいます。

 

多くの会社(個人)がかかわることになるので、工事全体を取りまとめる役の人が必要になります。

この役を担うのは、かつての日本では大工の棟梁さんでした。

しかし、現在は建設会社がこの役を専門にすることが多くなりました。

大工さんはその分作業に専念できるのです。

工事を取りまとめるためには、多くの知識と経験が必要です。

それだけではありません、常に安全面、衛生面に気を配り、作業の流れを考え、細部の作りを考え、

そしてコスト管理も行います。

(大工さんはこの辺りに気が回らず、最後に「追加請求」という形になることが多いと感じます)

「工務店の人は作業をしないで、顎で人を使って偉そうに!」

などと思ってはいけません(笑)

 

設計士はというと、このチームのゴール(完成形)を指し示すのが仕事だと思っています。

施主の気持ちを汲み取り、法に則り、衛生的で快適、安全な建築の完成形を

皆と認識できるように表現するのです。

設計士も多くの知識と経験がないと、このチームに貢献できません。

現場では、いろいろな問題が発生するものです。

そして、チーム一丸となって解決策を考えゴールを目指して作業するのです。

 

いいモノになるかは、一つのゴールに向かい、

いかに多くの職人が集中できるかにかかっている気がします。

それには、チーム力が必須です。

プロのサッカー選手のように、プロの職人さんは他のチームに入っても活躍できます。

しかし、足並みのそろわないチームメイトがいるとほころびが出てきますよね?

初めはちょっとしたミスでも、そこからズルズルといろんな事に影響が出てきてしまうものです。

結局は、人間同士の作業なのでチームの和が結構大切なのです。

 

そのチームの監督が、建築会社の現場監督(現場代理人)ですね。

選手選びも大切な監督の仕事です。

 

 

ところで試合が始まってからの設計士の仕事はというと?

設計士は、工事現場へ行くと嫌がられる存在です(笑)

設計図通りできているか、監視する役回りだからです。

試合中の、審判みたいな感じでしょうか。

嫌がられたりしながらも、それでも、監視役は必要です。

施主のため、建物の責任を負っています。

キチンと見張らなければいけません!

そこで、どうすれば現場の人から嫌がられないかと(笑)ちょっとだけ考えてみました。

きっと、完成形が素晴らしく感じられるもの。誇りに思えるような仕事になること。ではないかと。

そのためには、ちょっとくらい嫌われても素晴らしいものを目指すことが、

結果としては認めてもらえるのでしょう。

(これ、これから自分に言い聞かせよう!)

毅然とふるまう主審のように、時にはカードや退場も言い放たなければなりません!

(これは、少しオーバーですね。)

 

モノづくりおいてこの「チーム力」は共通していると、先日の歌舞伎を見ていて感じました。

多くのスタッフが、華やかな舞台の陰でせわしなく働いています。

役者さんをはじめ、その一人一人が完成した華やかな舞台を誇りに思い、

汗をかいて真剣に自分の役(仕事)をこなしています。

その姿には毎回感動させられます。

役者さんはもちろんみなさん「命をかける」「命を削っている」

いや刹那に「命は燃やしている」ようにも感じます。

八千代座は、小さな舞台なのでそんな心意気が凝縮して感じられるせいかもしれません。

 

何事にも「心意気」、大切にしたいです。

今、ブログを書きながら思いました。

住宅の寿命、人の寿命

 昨今、悲しい知らせが多く目につきます。

当たり前だった世界が大きく変わったことも一因だと感じています。

私の身の回りにも悲しい事がありました。

そして実感しました。
そんな中でも、人は眠り、食事をし、暮らしていくのだと。

そして、そんな暮らしを包み込むのは、人と家なのだと。

 最近まで日本の住宅は短命でした。

戦後、住宅不足で安価なもので早急に多くの住宅が必要で、

人口の増加、経済の成長も相まってすごい勢いで短命の住宅が増えていった為だと言われています。

反して、日本人の寿命は延びました。

長い人生、順風満帆の時ばかりではありません。

家族とうれしく楽しい時間もあれば、一人つらく悲しい時間もあるでしょう。

核家族化がすすみ、いずれ、多くの人は一人暮らしの時間を迎えます。

そんな中でも、人は建物の中で暮らしていきます。

その建物が、その人に寄り添うものであってほしい。そう、感じています。

 ソーシャルディスタンスが必要な、悲しい世の中です。

まさか、こんな世が訪れるとはだれも思っていませんでした。

そして、その影響は知らず知らずにジワジワと心に巣くってきている気がします。

リモートで会話できる世の中になりましたが、やはりリモートでは味気ない気がします。

効率のいい仕事の進め方に気づいたのと同時に、会えない寂しさにも気づかされました。

画面越しでは伝わらない、人と人の空気感がどうしたってあります。

 もうずいぶん前になりますが、不動産を営む方から言われたことがあります。

「あなたたちはいいよ、未来に向かって希望がある仕事だから」と。

その方いわく、不動産は困難に陥った方との仕事も多いのだと。

なるほど、おっしゃる通りなのかもしれません。

これから建物を建てようとしてらっしゃる方は、気力も体力も経済力あり

希望にあふれている時なのかもしれません。

でも、時は移ろいます。どんな人にも訪れるであろう人生の岐路が待っています。

始まりは終わりの始まりで、出会いは別れの始まりでもあります。

設計士は、そんな月日の移ろいも心に留めながら
これからの人生をも、包み込む、やさしい思慮深い温かい建物を

残していくことが大切だと感じています。

 

 

 

(2年前の改修工事。2階を解体してブルーシートをかけると青の世界が! ちょっと芸術を感じました)

敷地から読みとくべし!

陽気な人、慎重な人、やさしい人、厳格な人。

人にも個性があるように建物を建てようとする土地や周辺環境にも個性があります。そこに根付いた歴史的な価値があるかもしれません。機械的・物理的に地盤が特有だったりするかもしれません。日中日陰ができてしまうけれど風光明媚な場所なのかもしれません。

何がよくて何が悪いのか。一長一短で判断も人それぞれ。もうそれは「気が合う」とか「惚れてまうやろ」とかの判断になるのかもしれません。山の緑を心地よく思う人もいれば、忌み嫌う人がいたり、町中の喧騒や下町の人情を懐かしく感じる人もいればうとましく感じる人も。 朝日が好きな人もいれば、夕日が好きな人がいたりして。

個人的な好きな場所を押し付けるわけにもいかないですし。

 

 

たまに、間取りを見せられて「これ、どう思います?」と聞かれることがあります。しかし、平面図だけの情報では、「何もわからない」というのが正直なところです。わかるのは構造的なことくらいでしょうか。実際、その場所に行って周辺状況から、どんな生活ができるのか?とか、道路はどっちにあって、車や人通りはどうなのか?とか風はどっちから吹いてきて日差しはどのあたりにどう落ちるのか?一番気持ちのいい場所はどこなのか?じゃ、そこで何をして過ごすのか?など、敷地を見ないと判断できないのです。実際、間取りはよくできていても、お隣さんのお風呂の窓がリビングに面していた、とかなるとお互い気まずいですよね。(のっぴきならない仲ならそれもまたいいのかもしれませんが。)

 

それに、法規的なところも、敷地と関係が深いので、合法なのか判断つきにくい部分が多くあります。

 

なので、やはり計画をするにあたっては敷地をベースに建物を考えるのがベストなのです。

 

設計するにあたって、設計士は、イヤ私だけかもしれませんが「癖が強い!」敷地が好物です。挑みがいがあるってもんです!

造成された敷地は、比較的簡単に設計できてしまいます。建物を建てることを想定して造成していますし当然、法的なこともクリアできています。でも、ちょっと物足りない(笑)
きっとその土地の「癖」がなくなっているからなのかもしれません。当然、歴史的なことも踏みにじってしまっている気もしてしまい、なんだか少しもったいないなー、なんて思ってしますのです。

 

「癖の強い」敷地は値段も安いものです。

その分、手続きが二重三重にかかってしまったとしてもその土地の良さを見つけ出し最大限引き出してあげないと!、などと思っているのです。

人間だって、短所ばかり見て否定するよりいいところを見つけて引き出すほうが魅力を発揮できるものだと、私は信じています。うん。
最近、多くの人が均一化されていて、何か起こると一変にヒステリックになっている気がしています。

「癖が強い」他者を受け入れる度量が人にも建物にもあっていいと。

いや、そうあるほうが世の中面白いと、そんなことをお伝えして締めくくりたいと思います。(おちが見つからなかった(笑))

小さな家は魅力的

「リビングは大空間にしたい」「寝室をもっと広く」「収納はたくさんほしい」などなど、2回、3回と提案を重ねていくうちに欲望が湧き上がってくる。それを、はいはい聞いていくうちに敷地にめいっぱいの平面計画になってしまうことがしばしばあります。敷地が狭く地価が高い土地ならば、それも致し方ないとは思います。しかし、一般的な宅地の場合はあまりお勧めするものではありません。昨今「小さな家の良さ」が見直されています。その理由をお伝えしようと思います。
大きい家にはデメリットとなる面が多々あります。
まず、敷地一杯に建ててしまって余裕があまりないと、採光や通風に影響します。それは周囲の建物に対しても悪影響です。自分が良ければそれでいい、と利己的なのは良くないはずです。近隣住民、お互いがお互いのためを思う社会のほうが、自分自身の為にもなるものです。現に、敷地にめいっぱい建てた家は、暗くなりがちで風も通らず不健康で不経済です。
 景観的にも、周囲へ圧迫感を与えてしまいます。建物は街並みの一環でもあることを自覚しなくてはいけません。古代ギリシャでは「建築家とは、神に代わって風景を創ることを許された唯一の人」とされていたそうです。現在では建築家以外にも風景を変えてしまうことができてしまいますが、それぞれが「神に代わって」と感じるくらいの責任を持つことができたら古代ギリシャのような美意識の高い、統一感のある美しい街並みができるのかもしれません。
 住宅計画は家族の人数が多い時にはじめることが多いものですが、いずれお子さんは独立、結婚をして巣立っていくことが一般的です。すると使われない部屋が発生します。掃除も滞り、空気もよどみその部屋には使わないモノがたまってきてしまいがちです。そして、その部屋から建物は劣化が進んでいき魅力が減り、ついては空き家と化してしまう。という流れが近年多く見受けられます。
 

そして何より不経済です。イニシャルコストもですが、ランニングコストもです。坪単価60万円だとして一坪削ってその60万円。総二階だと建坪1坪減らせば1階2階で120万円が浮きます。その分で生活の質をあげ快適に過ごすほうがずっと有意義だと感じないでしょうか。

 

では次に、小さな家のメリットを上げていくことにします。
 構造が堅牢になります。(設計次第ですが)小さい家は崩れにくいのはイメージが付きやすいかと思います。狭い箇所に柱も密集しますし、高さを抑えることで安定感が増します。

 

  ランニングコストのあまりかからない快適な空間で外部環境を楽しめます。今の住宅にはシックハウス防止のため、法律で24時間換気扇を設置するのが一般的です。高気密、高断熱を謳っておきながら24時間換気で温熱エネルギーを無駄に放出しているのです。建坪1坪削って浮いたお金で熱を変換できる換気扇に変更すれば省エネにもなります。容積が小さい分、エアコンも効率的になります。外部空間に余裕ができることで、風通し、日当りをよくすることができパッシブ効果も向上します。
 一説によると、快適な住宅に居住することで、四季節を楽しめるようになるといいます。個人差はあると思いますが、「寒い部屋で過ごしていると、雪の風景を楽しむ心境にはなれないよ」と聞くと理解できる気もします。

何より、快適な空間で暮らすと体調が良くなるという、最近の調査報告もあります。ヒートショックはもちろん、お子さんのぜんそくが治ったり、アトピーにも有効と聞きます。高齢化社会をむかえるにあたり快適な住宅にすまうことは必須なのではないでしょうか。

 他にも家族との距離感が近くなりますし、家族が減った時にもさみしくない広さで、掃除などの家全体の日頃の管理もたやすくなります。
  また、外観の印象もスマートになります。庭や周辺環境とのバランスもあるとは思いますが、大きい家のような圧迫感はなくなります。街並みの景観にも貢献できる空間を作りこともできます。
  それでも、「広々とした空間で暮らすのが夢なんだ!」という方もいらっしゃると思います。建坪が小さい家でも広さを演出する工夫はいろいろあります。とお伝えしたい!

 

  ひとつは、抑揚のある空間を演出すること。狭いところから広いところへ移ると、心理的にとても広く感じます。このように家の中に対局となる空間を作るのです。広さだけではありません。高さ、明るさ、などもです。いい建物にはリズムを感じます。

 

 他にも広さを感じさせる工夫に、ヌケ感があります。視線のヌケです。外部環境をどう室内に取り入れるかも設計の腕が試されるところです。

 

 動線を考えることも、狭さを感じさせないためには必要です。回遊できるような設計だと、狭さのストレスも軽減できます。

 

 他にも苦肉の策ではありますが、鏡をつかって広く見せる。壁の色を寒色系にする。などの小技も少々。これは、建築後のDIYでも対応可能ですね。

 

小さな家のメリット、お伝えできたでしょうか?

 

 最近は、ミニマリストの台頭も相まって世界的にもトレーラーハウスやツリーハウスなど、小さい家が注目されています。偏ったミニマリストはいかがなものかとも思いますが、何かを成熟させるためには別の何かを潔くあきらめる必要があると考えます。CUTがあってGETがある。スティーブジョブズも禅の教えから、かなりのミニマリストだったとか。お金持ちの家にはモノが少ないそうです。ドラマの中の金持ちの家はすっきりしているのもうなずけます。

 

 そんなことを考えながら、また、提案を重ねるごとにどんどん大きくなっていく平面図を眺めながら「また無駄が増えてくなー、まるで私の脂肪のようだ・・・」などと感じてしまうのでした。

(かつて建築界で「メタボリズム思想」というものがあっての連想です。)

 

 

豊かさとは2

小堀哲夫氏の講演を聞いてきました。

現在注目株の若手建築家です。

代表的な建物にROKI Global Innovation Centerがあります。

空調や光を最先端のプログラムを用いて取り入れ方ている方で、

レンゾピアノを彷彿させる建物だな~と感じていましたが、

そこには大切な思いが込められてのことでした。

 

「建築と環境と人間」と題してのお話でした。

建物と人間の間に環境があり、これが大切だと。

環境は、目に見えないものです。虚です。

光や影、風やにおいなど。

空気感、それとも「間」とでもいうのでしょうか?

それを作るのが建築なのだと。

ものを作るより、環境をつくる。

そして、その環境に「人の幸せづくり」もかかわってきます。

その空間を人がどう感じ、どう使用するか?

その会社、そのコミュニティ、その人のために、

どう行動することがいいことなのか、からの発想で環境をつくりあげています。

建物だけではなく、人を巻き込んでいく建築とでもいいましょうか。

開かれることが大切であれば、どんどん人が集まる空間をつくる。

そして、新しいつながりが生まれ、新しいことが始まる。

そんな建物には、とてもおおらかなものも感じました。

 

私は、そこに時間の考えもプラスしたい感じています。

今までの歴史、これからの人の成長、季節の移り変わり、一日の移ろい、

そして、人の移動もです。

 

大きなことを言っているようですが、

根底にあるものは住宅にも共通すると考えています。

お金をかけて作るだけではなく、豊かな住宅を作りたいですね。